読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【4連休なので神秘思想への沈潜を試みる】00 序奏:企画と準備 プロティノス、マイスター・エックハルト、スウェーデンボルグ、ルドルフ・シュタイーナー、カンディンスキー、ウィリアム・ブレイク

前回の4連休(2020.07.23~2020.07.26)の際、柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ。連休のイベントとして、普段であれば読むことが難しいと思うものにチャレンジするということにしておくと、ふんばりがきいてなんとか読めるものだということがわかった。前回味を占めて、明日からの4連休(2020.09.19~2020.07.22)では、神秘思想を読みすすめてみることにした。4連休、なにを読もうかと考えたとき、まずは鈴木大拙の名が浮かんだ。近年、教養の重要性が説かれる中、西洋世界にも名の通っている人物の著作を読むことが、最も実のある教養となるのではないかと思っていて、それには鈴木大拙がもってこいだと考えた。最近、岩波文庫で『神秘主義 キリスト教と仏教』が出たこともあり、その辺から攻めていくのがよかろうと思い、仏教とキリスト教、東洋と西洋どちら側に重心を置こうかと思案していたところ、最近のわたしのハイデッガーの連読(ブログ投稿中)、フッサール現象学関連本連読(読了後未投稿作品数件)の流れから、まあ西洋系でエックハルトあたりが順当な流れであろうと考え準備することにした。その際、井筒俊彦の『神秘哲学 ギリシアの部』を読んだときに印象深かったプロティノスのことも頭に浮かんだので、これまであまり読んでこなかった西洋の神秘思想を読めるところまで読んでみようと心に決めた。実際のところ、今回の4連休は外出の予定もあるので、ずっと本ばかり読んでいるということにはならないが、イベント化しておかないと集中しないので、とりあえず進めてみることにする。

 

自宅で積読中のものに図書館で借りてきたものを加えた今回の神秘思想ラインナップはこちら。さて、どこまでいけることやら・・・

 

プロティノス (205 - 270) 】

『世界の名著 続2 プロティノスポルピュリオス・プロクロス』(中央公論社)からプロティノスの作品

 善なるもの一なるもの
 三つの原理的なものについて
 幸福について
 悪とは何か、そしてどこから生ずるのか
 徳について
 美について
 エロスについて
 自然、観照、一者について
 英知的な美について
 グノーシス派に対して
 一なる者の自由と意志について
 

【 マイスター・エックハルト (1260 - 1328) 】

『神の慰めの書』(講談社学術文庫 相原信作訳)
第1部 論述
 1 教導説話
 2 神の慰めの書
 3 高貴なる人間について
 4 離在について
 5 魂の高貴性について
第2部 説教
 1 マタイ伝第21章第12節についての説教
 2 マタイ伝第25章第23節についての説教
 3 ルカ伝第7章第14節についての説教
 4 ルカ伝第10章第38節についての説教
 5 同上
 6 ルカ伝第21章第31節についての説教
 7 ヨハネ第1書第4章第9節についての説教
 8 イザヤ書第49章第13節およびヨハネ伝第8章第12節についての説教
第3部 伝説
 マイスター・エックハルトの饗宴
 マイスター・エックハルトの娘
 マイスター・エックハルトの時代と生涯

『中世思想原典集成16 ドイツ神秘思想』(平凡社)からエックハルトの作品
主の祈り講解
命題集解題講義(コラティオ
一二九四年の復活祭にパリで行われた説教
アウグスティヌスの祝日にパリで行われた説教
パリ討論集
集会の書(シラ書) 二四章二三-三一節についての説教と講解
三部作への序文
高貴なる人間について

 

スウェーデンボルグ (1688 - 1772) 】

『天界と地獄』(静思社 初版1962 柳瀬芳意訳)

高橋和夫スウェーデンボルグの思想 科学から神秘世界へ』(講談社現代新書 1995)

 

【 ルドルフ・シュタイーナー (1861 - 1925) 】

『神智学』(原書 1904 ちくま芸文庫 2000 高橋巌訳)
『神秘学概論』(原書 1909 ちくま芸文庫 1998 高橋巌訳)

 

【その他 神秘思想に関連する画家、詩人】

ワシリー・カンディンスキー(1866 - 1944)
S・リングボム『カンディンスキー ―抽象絵画と神秘思想』(原書 1970, 平凡社 1995 松本透訳)

 

ウィリアム・ブレイク(1757 - 1827)
ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』(角川文庫 1999 寿岳文章訳)

 

www.iwanami.co.jp

 

www.iwanami.co.jp

 

プロティノス
205 - 270
マイスター・エックハルト
1260 - 1328
スウェーデンボルグ
1688 - 1772
ルドルフ・シュタイーナー
1861 - 1925
ワシリー・カンディンスキー
1866 - 1944
ウィリアム・ブレイク
1757 - 1827
井筒俊彦
1914 - 1993
鈴木大拙
1870 - 1966

 

マルティン・ハイデッガー『アレーテイア ― ヘラクレイトス・断片一六』(原書 1943, 1954, 理想社ハイデッガー選集33 宇都宮芳明訳 1988)

『ロゴス』につづいてヘラクレイトスの断片についての解釈。
ヘラクレイトスは暗い人だが、その暗さの中でしか見えてこないほのかな明かりのはたらき(「明るめ」)があるとハイデッガーは説き続ける。

《決して没しないものを前にして、ひとはいかにして自分を隠すことができようか。》(断片 第一六)

日常の思いなしは、真なるものを、思いなしの前にまき散らされているいつも新たなものの多様さのうちに求める。日常の思いなしは、明るめの単純さのうちでたえず存続しながら輝く、秘密の静かな輝き(黄金)を見ない。

明るめのうちでかれらが起居するロゴスは、かれらに隠れたままであり、かれらに忘れられている。

たえず存続するロゴス(言葉)とアレーテイア(真理)の単純さ単調さが、秘密の静かな輝きとして賞揚されている。それを見るためには問いの暗さを持ちつづけなければならない。通り過ぎてしまうことなく、立ち止まることのできる十分な鈍さをもっていなければならない。日常生活にはなんの役にも立たない能力かも知れないが、ハイデッガーはそれを磨けといっている、ように思える。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
ヘラクレイトス
B.C.540 - B.C.480
宇都宮芳明
1931 - 2007

 

【言語練習 横向き詩片】だからなにとはいわぬ

だんねんはせっきょくてきにまえむきにと 
からげんきでなくしきいつくりかぎるのは 
らんみゃくなかんけいにときをとられない 
なんもんにあしをすくわれないぜんのにわ 
にびいろずきのにひるとされてもかまわぬ 

だ か ら な に と は い わ ぬ

マルティン・ハイデッガー『ロゴス ― ヘラクレイトス・断片五〇』(原書 1951, 理想社ハイデッガー選集33 宇都宮芳明訳 1988)

ヘラクレイトスが活動していた2500年前から、思索の本質は変わらない。だから、「思索は、世界を変革する」といわれても、思ったほどの速さや量では変わらないと思っておいた方がよいだろう。どちらかというと、本質から外れた思惟、『放下』でいわれていた「省察する思惟」「追思する思惟」ではない思惟、技術のベースにある「計算する思惟」や政治体制の選択変革のほうが「世界を変革」することは多い。哲学者がもっぱら世界を変えているというわけではない。思索は「作者(アウトール)〔創始者〕とは無縁」といわれているように、世界を思うようには作り変えられない。ハイデッガーの言葉を読むかぎりでは、世界がそうあるほかない進み行きを「暗い深い」流れとして予測し波及させ追認するくらいが、思索の活動域だと考えておいた方がよい。世界の「暗い深みとして」の本質は変わらない。本質の現われとともにあることを、思索といわれるものが、気づかせ、支えてくれる、というくらいに、「迷いを解くことのうちにとどまる」ことの技法として思索があるというくらいに考えておいたほうが良いと思う。

思索こそがまことに本来の問題である。思索者の語は、なんら権威(アウトリテート)をもたない。思索者の語は、著述家という意味での作者(アウトール)〔創始者〕とは無縁である。思索の語は形象に乏しく、魅力はない。思索の語は、それが言うところのものを目指して、迷いを解くことのうちにとどまる。とは言え、思索は、世界を変革する。思索は世界を、その度により暗くなる謎の泉の深みへと変えるが、この深みはより暗い深みとしてより高い明るみを約束する。

「思索の語は形象に乏しく、魅力はない」。大丈夫、「思索の語」以外のほかの語も、とびぬけて魅力があるということはない。

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
ヘラクレイトス
B.C.540 - B.C.480
宇都宮芳明
1931 - 2007

 

思潮社現代詩文庫 1016『西脇順三郎詩集』(1979)

人間は永遠には生きられない。人間は死すべき存在である。永遠を生きられない悲哀とともにある諧謔西脇順三郎の詩作のもとにある精神だ。ただ悲哀よりも諧謔のほうが強い傾向は見受けられ、言語表層の艶めきを駆け抜ける姿が浮かんでくる。東洋のヘルメスとちょっと言ってみたくなる詩人だ。

天国の夏 
 (ミズーリ人のために)  〔部分〕
 
人間も無常だが人間の作つたものは
より無常で特に帽子はそうだ
近代人はシャポを破滅させてしまつた
シャポは破滅の前にまず滑稽であつた
ベルグソンのいうことではシャポを
笑う場合はそりやあシャッポだが
そのフエルトやムギワラの材料を笑うのでない
人間の与えたシャポの形態を笑うのだ
純粋に人間的なもの以外には滑稽(コミツク)はない
シャポの形態を作つ人間のユーモアを笑うんだ
こんな重大な事実をなぜ哲学者は見落とした
のかな……

(詩集『禮記』1967 より)

 

詩人74歳の時の作品。面白味のある弟子たちもたくさんいて、大変いい年の取り方をした詩人でもあると思う。


西脇順三郎
1894 - 1982

竹内薫『「ファインマン物理学」を読む 電磁気学を中心として』(講談社ブルーバックス 2020)

物理学はモデルよりもモデルのもととなる数式、方程式が大事。そのことを明確にしかも興味深く教えてくれるのがファインマン先生、さらによりかみ砕いて肝の食べやすい部分だけをさっと取り出してくれているのが竹内薫。本当は方程式を理解したほうがいいに決まっているが、物理学のモデルが実験結果を説明できる方程式から自然言語に創作翻訳されたものであるということを明示して、時に詳細に時にざっくりとモデルを方程式に結び付けてくれて、その上でおおよその世界像を納得させてくれる二人の物理学教師の教えは一般読者にとってはありがたいものだし、すごく助かる。

ファインマン自身の言葉】

彼(マクスウェル)の理論はなかなか受け入れられなかったが、それは第一にそのモデルのため、第二に最初のうち検証がなかったためである。今日ではわれわれは大切なのは方程式自身であり、それを得るために使ったモデルでないことをよく知っている。問題とするのは方程式が正しいかどうかである。その解答は実験をすれば出てくる。
(『ファインマン物理学』3巻 18-1 230ページからの引用 『「ファインマン物理学」を読む』p86)

 【竹内薫の言葉】

電磁気学にも弱点はある。実をいえば、その問題は、ニュートン力学と同じ根っこから来ている。ニュートンの逆2乗則にしろ、分母に距離の2乗が来ているところが問題なのである。なぜかといえば、質点とか点電荷という概念と相容れないからだ。分母に距離rの2乗がある。点電荷には大きさがないからr=0としないといけないが、そうなると分母がゼロになって無限大になってしまう。
(『「ファインマン物理学」を読む 電磁気学を中心として』p189)

 

ファインマンから竹内薫の解説文へ。もとめるエネルギーの値の無限大への発散が、方程式の形からのみ解かれている。この竹内の文章自体は、おそらく中学生くらいで理解可能だろう。このエネルギーの無限大の発散を回避するというところからいくつかの大きな理論が生まれてきたことを竹内薫はさらに教えてくれている。ひとつには1965年にノーベル賞が贈られたファインマン朝永振一郎、シュウィンガーの「くりこみ理論」であり、ほかにはふたつの重力理論、「超ひも理論」「ループ量子重力理論」である。いずれも理論の詳細は分からなくても、なにを回避するために出てきた理論かということが分かれば一般読者層には十分だ。あとは理論の切れ味を素人レベルで楽しめればよい。少なくとも私はそれでよい。贅沢をいえば本家『ファインマン物理学』にあたって同じようなことをいえればもっとよい。

目次:
第1章 これぞ、ファイマン流!
第2章 方程式に秘められた意味
第3章 見えないものを見る
第4章 電磁気学の致命的な欠陥――くりこみ理論への道
 おわりに
 数学的な補遺

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竹内薫
1960 -
リチャード・フィリップス・ファインマン
1918 - 1988