読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高橋睦郎『私自身のための俳句入門』(新潮選書 1992)俳句界に参入するための心得書

日本の文芸の歴史の中で俳句形式がもつ意味合いを探る一冊。書き方講座というよりも読み方講座として重要性を持っている。

私たちがいま俳句とは何かを考えることは、俳句を生んだわが国文芸、とりわけ和歌の長い歴史、和歌の自覚を生んだ海外先進異国文芸としての漢詩、さらには和歌の定着を見て千数百年後にいわばもうひとつの漢詩として入って来て、その日本語土壌への移植態としての新体詩を産み、これを近代詩・現代詩に発展させるいっぽうで、俳諧連歌を含む和歌の自覚を促し、なかんずく子規の俳句革新を齎した欧米詩を含めた広く大きな視野の中で考えることでなければなるまい。
(歴史篇 「視点 俳句は和歌である」p14 )

雅俗ともに歌い込められていた古代和歌の世界から、時代が下るにつれ和歌がもっぱら雅を歌うようになり、捨てられた俗の回復を俳句が志向していった歴史をたどり、さらに世界最短の詩形として成り立つための季と切れ字の扱いが洗練されていった次第を明らかにしていく。俳句一篇を書くにも、俳句とは何かを知り、俳句が出てきた素性を知る必要があると、著者は自分自身に向かって確認するように書き進めている。俳句、短歌、現代詩をともに能くし、さらには現代能の台本も書くという異能の人物にしてはじめて成った教養書である。
※いくら良書であっても新刊ではもう手に入らないという日本の出版状況は厳しい。

【付箋箇所】
14, 28, 37, 42, 57, 63, 72, 79,90, 120, 127, 149, 156, 169, 193, 199, 208, 212, 213, 216, 218, 220


目次:

歴史篇

 視点 俳句は和歌である
 起源 どこまで溯れるか
 公私 相聞の二つの相
 接木 季感は大陸から
 類型 季感から季題へ
 闘戯 歌合は連歌の根
 唱和 上の句と下の句
 熟期 連歌の生まれる基盤
 遺産 本歌取りの知恵
 問答 発句は脇以下を予想する
 本卦 俳諧こそ連歌の淵源
 変成 詩化のための永久運動
 切断 そして俳句誕生

構造篇

 俳性 俳とは批評である
 句質 俳詩・俳歌でなく俳句
 定型 なぜ五・七・五か
 入切 なぜ切字なのか
 再分 俳句にも上の句・下の句
 合物 感慨は「物」化すること
 即離 切字への愛憎こそ
 約束 季は暗黙の了解事項
 季恋 恋とは美意識
 重層 雅と俗の二重構造
 写生 季の甦新のために
 真美 美は俳に変わりうるか
 遊性 遊びはルールから

終わりに

 作場 俳句は集団の詩

付録

 私の俳句修業


高橋睦郎
1937 -

【雑記】花の季節の土台の不具合

2021年3月23日、一部Android端末不具合(メール使えない、ブラウザ使えない)と即時対応(半日かかったけど対応版Chrome更新で私のケースでは復旧)の対象となった人間で、短詩形に少しでも関心を持っている変わり者は、まあ何かしら気の利いた詩句がこの機縁で生まれてきたならラッキーと思っているところがある(基本的に何も出て来はしないのだけれども)。


無理やり捻るとこうなるという一例:
高橋睦郎『私自身のための俳句入門』の感想を書こうと思ったときに出てきた横道

 

「繰り返し停止」の文字(もんじ)散りにけり
「繰り返し停止」の文字(もんじ)流れけり
「繰り返し停止」の文字(もんじ)流したり
「繰り返し停止」のアプリ春怒涛
呼びかけて同じ答えと春の風
春の風応え返らぬ無線口
淋しさや無線の口の麻痺模様
花咲けば別れの時が傍らに
免疫や花より花粉が合うサイズ
寛容は複数にあり桜道
窓もあり林檎もありて未来イヴ
渋滞や花の季節の土台不具合
移動せぬ時を牛耳る黒コード
存在や機能不全時花盛り
あきらめて花の中なる不可侵境
手を引けば昔に戻る春の朝
固まればほぐす道筋胸求む
固まればほぐす道筋花求む
声出せば鱗屑たちの花盛り
花あれば花腐しあり般若経
再生や遠隔からの思し召し
守(も)り人に風吹きぬけぬ初桜

 

平田オリザ的に万人芸術志向を許せる世界になれば、こういったものが結構出て来る。出てきたものをきちんとさばいて浄化していく人も必要だということもなんとなくわかる。

 

 

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書 2016)下り坂の世で「寂しさと向き合う」

語り口は穏やかだが、内容はかなりシビアな状況論。寛容な精神が重要と言っている一方で、付加価値を生みだせる人材を育てていかなければ生き延びるのは困難になってきているという主張が目を引く。成長が当たり前だった時代が過ぎ、停滞から衰退に向かう状況のなか、下り坂を転げ落ちてしまわないようにするには現状をしっかり見極め踏ん張らなければいけないが、そこでより魅力的なコミュニティを創造するべくコミュニケーションをとり行動を起こさないと所属集団の転落の危機は大きく高まる。何もしなければジリ貧、何かして失敗すればリカバリが難しい。本書は地方自治体や学校法人などの組織運営での成功例を多く取り上げている為、個人の行動よりも組織のマネジメントの領域で参考になりそうな一冊だ。「競争と排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会へ」。直接語られているわけではないが、資源や選択肢のない切羽詰まった状況になってしまうと、周りを見る余裕などなくなるから、現実を受容しながらも自己決定の自由はいつでも持てるようにしておこう(そして他者の自己決定の自由も尊重できるようにしよう)という、踏みとどまるべきライン設定は、組織だけでなく個人としても覚えておいた方がよい気がした。踏ん張りどころに気づけるようになるかもしれない。未来に向けて明るさは細っていくと覚悟した方がよいので、たとえ踏ん張りがきいたとしても、寂しい状況がなくなるわけではないことをまずは浸透させたいのだなと感じさせた著作。

 

『下り坂をそろそろと下る』(平田 オリザ):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部

 

【付箋箇所】
14, 43, 50, 119, 150, 158, 160, 162, 193, 208, 220, 224, 235

目次:
序 章 下り坂をそろそろと下る
第一章 小さな島の挑戦――瀬戸内・小豆島
第二章 コウノトリの郷――但馬・豊岡
第三章 学びの広場を創る――讃岐・善通寺
第四章 復興への道――東北・女川、双葉
第五章 寂しさと向き合う――東アジア・ソウル、北京
終 章 寛容と包摂の社会へ

平田オリザ
1962 -

時枝誠記『国語学原論 ―言語過程説の成立とその展開―』(上・下)(岩波書店 1941, 岩波文庫 2007)見えないもの聞こえないものを掴む思考力、「零記号の陳述」

自然科学的構造分析を用いるソシュール系の言語理論に対して、時枝誠記は言語は主体的な表現活動そのものであるとする「言語過程説」という立場に立つ。発話者と聴取者が必ず出て来るウィトゲンシュタイン言語ゲームの理論とも親和性があるようにも思える。常に言語使用者の行為という場所から言語が検討されているため、文芸等の表現を検討するのにも有効な言語理論でありそうだ。実際、最終章は「国語美論」と美学の領域にも踏み込んでいるので、頼もしい。
論考全般もいたるところに読ませる文章がちりばめられていて飽きさせない。

言語が何等か内容的なものをもたねばならないと考えるのは、構成的見地であって、言語はその様に或る物を背負って運ぶ処の伝達者として意味を持っているのでなくして、譬えていえば、為替の様なものである。金銭は為替に伴われて持ち運ばれるものではなく、只相手方に金銭が支払われることが要求されるに過ぎないものである。言語によって表現される素材は、為替における金銭と同様に、概念であり、表象であり、事物であるに違いないが、言語はこれらの内容から成立しているのでなく、これらを素材として、それに対する主体的把握の表現から成立している。
(上巻 第一篇 総論 八 言語の構成要素と言語の過程的段階 二「概念」 p120 )

今回、時枝誠記の本を読んでみて、私がいちばん新鮮に感じたのは「零記号の陳述」という視点。音声記号や文字記号が省略されていると考えられる統一された陳述文というところから、例えば芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の体現止め表現を文として分析したりしている。日本語に関心がある人なら読んで損はない。

 

www.iwanami.co.jp

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【付箋箇所】
上巻:
9, 47, 82, 106, 120, 122, 138, 155, 157, 170, 187, 221, 233, 262, 271, 273, 274, 280, 294, 305, 311, 321, 324
下巻:
12, 13, 15, 17, 37, 45, 46, 49, 52, 72, 73, 76, 217, 224, 255

目次:
第一篇 総論
一 言語研究の態度
二 言語研究の対象
三 対象の把握と解釈作業
四 言語に対する主体的立場と観察的立場
五 言語の存在条件としての主体,場面及び素材
六 フェルディナン・ド・ソシュールFerdinand de Saussureの言語理論に対する批判
 一 ソシュールの言語理論と国語学
 二 言語対象の分析とlangueの概念の成立について
 三 「言」paroleと「言語」langueとの関係
 四 社会的事実fait socialとしての「言語」langueについて
 五 結
七 言語構成観より言語過程観へ
八 言語の構成要素と言語の過程的段階
 一 文字及び音声
 二 概念
 三 言語の習得
 四 言語に対する価値意識と言語の技術
九 言語による理解と言語の鑑賞
十 言語の社会性
十一 国語及び日本語の概念 附,外来語
十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語(ラング)」の概念

第二篇 各論
第一章 音声論
一 リズム
 イ 言語に於ける原本的場面としてのリズム
 ロ 等時的拍音形式としての国語のリズム
二 音節
三 母音子音
四 音声と音韻
五 音声の過程的構造と音声の分類
第二章 文字論
一 文字の本質とその分類
二 国語の文字記載法(用字法)の体系
三 文字の記載法と語の変遷
四 表音文字の表意性
第三章 文法論
一 言語に於ける単位的なるもの――単語と文――
二 単語に於ける詞・辞の分類とその分類基礎
 イ 詞・辞の過程的構造形式
 ロ 詞辞の意味的聯関
 ハ 詞辞の下位分類
 ニ 辞と読むべき「あり」及び「なし」の一用法
 ホ 辞より除外すべき受身可能使役謙譲の助動詞
 ヘ 詞辞の転換及び辞と接尾語との本質的相違

第二篇 各論
第三章 文法論(承前)
三 単語の排列形式と入子型構造形式
四 文の成立条件
 イ 文に関する学説の検討
 ロ 文の統一性
 ハ 文の完結性
 ニ 文に於ける格
 (一) 述語格と主語格 附,客語補語賓語等の格
 (二) 主語格と対象語格
 (三) 修飾格と客語及び補語格
 (四) 独立格
 (五) 聯想
 (六) 格の転換 
第四章 意味論
一 意味の本質
二 意味の理解と語源
三 意味の表現としての語
第五章 敬語集
一 敬語の本質と敬語研究の二の領域
二 言語の素材の表現(詞)に現れた敬語法
 イ 話手と素材との関係の規定
 ロ 素材と素材との関係の規定
四 詞辞の敬語的表現の結合
第六章 国語美論
一 音声の美的表現
二 語の美的表現
三 懸詞による美的表現
 イ 懸詞の言語的特質
 ロ 懸詞による表現美
 (一) 旋律美
 (二) 協和美
 (三) 滑稽美

時枝誠記
1900 - 1967

 

杉本博司『苔のむすまで』(新潮社 2005)荒ぶる魂の沈思黙考

写真家であり現代美術作家である杉本博司の第一著作。固定したカメラで長時間露光した作品や模造品の写真作品を作成してきた作家のコンセプト部分がうかがえる一冊。写真図版も多く含まれているので杉本博司入門にもなる。

私が写真という装置を使って示そうとしてきたものは、人間の記憶の古層である。それが個人の記憶であれ、ひとつの文明の記憶であれ、人類全体の記憶であれ、時間を遡って我々はどこから来たのか、どのようにして生まれたのか思い出したいのである。
(「能 時間の様式」p46 )

美術を語りながら、それが生まれた歴史的背景にも鋭い眼差しが及んでいる。人類誕生や神話の世界から現代まで、すこし隠れて見えにくくなっている歴史的なものを、あざやかに切り出して、見直してみるように促す。うつろいやすく薄情な関心のカーソルをいっとき意識的にとどめてみるために、美術品と文章でこころを調える場を設けてくれている。

www.shinchosha.co.jp


目次:
人にはどれだけの土地がいるか
愛の起源
地霊の果て
能 時間の様式
護王神社再建 APPROPRIATE PROPORTION
京の今様
塔の昔の話
不埒王の生涯
虚ろな像
骨の薫り
風前の灯
異邦人の眼
大ガラスが与えられたとせよ
末法再来
さらしな日記
苔のむすまで
あとがき

杉本博司
1948 -

集英社 漢詩体系17 蘇東坡(1037-1101)(訳・解説 近藤光男 1964年一刷発行 )どこに行っても言葉に不自由しない苦吟と無縁の詩人の業績

蘇軾。中国北宋の人。政治家としては守旧派、詩人としてはどの地域のどの主題にも対応できる万能の人。書家、画家としても優れ、音楽も能くする。革新派との政治的な勢力争いの中で、左遷と地位回復を繰り返した人生の中での詩作。66年の生涯で、2714首の詩を物し、そのうち約200篇を選出した選集。日本でいえば平安中期、白河天皇の『後拾遺和歌集』の時代。11世紀の世界の詩としては、他に『ルバイヤート』がある。

卜算子

缺月挂疏桐
漏斷人初靜
時見幽人獨往來
縹緲孤鴻影

驚起卻回頭
有恨無人
揀盡寒枝不肯棲
寂寞沙洲冷

本巻には中国の絵画や水墨画なども詩にあわせるようにして収められていて、美しい。

 

【付箋箇所】
・石蒼舒酔墨堂
・戯子由
・水調歌頭
・舟中夜起
・卜算子
・東坡八首
・去歳九月二十七日 在黄州 生子 遯小名幹兒 頎然穎異 至今年七月二十八日 病亡於金陵 作二詩哭之
・水龍吟
・書晁補之所蔵與可畫竹 三首
・和陶止酒
・倦夜

目次:

Ⅰ 石鼓の篇 1059-1068
Ⅱ 西湖の篇 1069-1074
Ⅲ 秋月の篇 1074-1079
Ⅳ 海棠の篇 1080-1084
Ⅴ 翰林の篇 1085-1094
Ⅵ 南海の篇 1094-1101


蘇東坡
1037 - 1101

近藤光男
1921 -

金子信久『鳥獣戯画の国 たのしい日本美術』(講談社 2020)遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

鳥獣戯画を中心に、伊藤若冲歌川国芳、河鍋暁齋、曽我蕭白、森狙仙など、小さな動物や虫たちが躍動する日本画の世界に案内してくれる一冊。優美で瀟洒な線と淡くて品の良い彩色が心を和ませてくれる。兔と蛙と雀と金魚。猫と鼠と猿と亀。祭りと遊興に励む小さな生き物たちの躍動が時空を満たしている。今様の歌がどこからかきこえてきそうだ。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ

梁塵秘抄』より.


図版123点。河鍋暁齋と歌川国芳が特にたくさん載っている。

 

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000338590

 

目次:

第一章 --鳥獣戯画--の楽しさ
第二章 --鳥獣戯画--の子どもたち
第三章 動物ものがたり
第四章 不思議と夢想 -ウサギとキツネ-
第五章 動物たちの心


金子信久
1962 -