定家の『百人一首』にならい、『古事記』から20世紀末の高柳重信、永田耕衣までの百人から一句ずつひろった俳句アンソロジー。
内訳:
前連歌時代 | 十人 | 倭建命から後深草院少将内侍まで |
連歌時代 | 十人 | 善阿法師から法眼紹巴まで |
俳諧時代 | 四十人 | 宗鑑から一茶まで |
俳句時代 | 四十人 | 正岡子規から永田耕衣まで |
本書を通読した印象では俳諧以前の情報により大きな価値があるのではないかと思った。芭蕉や蕪村、子規から現代俳句まで読んではいても、連歌、連歌以前まで目配せできる人はそれほど多くはないだろう。
中世(戦国時代)までの22句:
新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる | 雑 | 倭建命 |
佐保川の水を塞き上げて植ゑし田を | 夏 | 佐保禅尼 |
白露のおくにあまたの声すなり | 秋 | 簾外少将 |
標の内に杵の音こそ聞こゆなれ | 冬 | 賀茂成助 |
かからでもありにしものを春霞 | 春 | 良岑よしかた女 |
浅みどり春のしほやの薄煙 | 春 | 後鳥羽院 |
初時雨はるゝ日かげも暮れ果て | 冬 | 前中納言定家 |
うば玉の黒髪山の秋の霜 | 秋 | 従二位家隆 |
春や疾き古としかけて立ちにけり | 冬 | 前大納言為家 |
芦の根のうき身はさぞと知りながら | 夏 | 後深草院少将内侍 |
露はいさ月こそ草にむすびけれ | 秋 | 善阿法師 |
花に来て雪に忘るゝ家路かな | 春 | 十仏法師 |
あまびこか谷と峯とのほとゝぎす | 夏 | 救済法師 |
たぐひなき名をもち月のこよひかな | 秋 | 関白前左大臣良基 |
さくらさくとほ山守やみやこ人 | 春 | 宗砌法師 |
あしづゝのうす雪こほるみぎはかな | 冬 | 権大僧都心敬 |
雪ながら山もと霞む夕べかな | 春 | 宗祇法師 |
ほろほろと朝露はらふ雉子かな | 春 | 肖柏法師 |
雨けぶる家居木深き柳かな | 春 | 宗長法師 |
夜や更くる枕に近し川千鳥 | 冬 | 法眼紹巴 |
まんまるに出でても長き春日かな | 春 | 宗鑑 |
落下枝にかへると見れば胡蝶かな | 春 | 守武 |
俳句は、いまは、孤独の詩であるような形をとっているけれども、本来、対話の片方の詩型だと僕は思っている(対談「希望としての俳句」p206)
連歌から俳諧に至る流れを追っていくと、相手が答えてくれることを期待している「掛け合い」の姿として俳句形式が浮き上がってくる。
また、連歌俳諧をになった人の殆どが僧形であることに注目すると、自由な発話を求めて家を捨て文芸の世界に没入した人々の姿も浮かび上がってくる。
詩歌文芸には人を引き付ける魅力がある。だからといって、そう簡単にさすらい人や自由にあこがれるのは危険な傾向だ。気づいた後に補正しようとしてもなかなかうまくはいかないことになる。さらには気が付くとうまくさすらうこともできずに、うつうつと一生を送ることになる可能性も低くはない。やはり家やジェンダーや生産性などから自由になったところで何かを表現するようになるまでには資質や覚悟などいろいろ問われることが多いのだと思う。
1937 -