「俳諧に於ける小説味戲曲味」と「芭蕉翁七部概觀」は写実に偏った発句ばかりが詠み読まれるようになった明治以降の状況に抗して俳諧之連歌の多様性を論じたもの。時代の趨勢によって連句が廃れ俳句が好まれるように変化していったことには理解を示しながらも、俳句の出自である芭蕉の時代の芸術性と滑稽味のバランスがとれた連句の世界への視線も失わないようにと注意を向けながら、連句の読み方味わい方も教えてくれている。
後半の「芭蕉俳句研究」「續芭蕉俳句研究」「續々芭蕉俳句研究」は太田水穂主催の芭蕉俳句研究会に御意見番のような立場で関わっていた際の芭蕉句の評釈。教養と多様な経験から出てくる自信と深みある鑑賞のことばには驚かせられることが多い。ちなみにこの芭蕉俳句研究会には哲学者の和辻哲郎も参加していた。
散る花や鳥もおどろく琴の塵
これは狩野探雪の琴の図への賛として詠まれた句らしいのだが、露伴の解釈では幽玄の句として挙げられている。
言葉に幽玄なところがある。幽玄は明白の反對である。琴の音に鳥が驚いたのであるが、それは鳥が花間に身じろいで花を散らして、その落花のために琴が音を立てたのである。この散る花を琴の塵と見たのである。
幽玄の句としては他に
橘やいつの野中のほとゝぎす
が挙げられていて、幽玄は平明との対と示唆されている。幽玄の反対の側にある明白と平明。あらためて言われてみればそのとおりに違いないのだが、詩の行き方としての二つの極を簡潔に言い切られると、ちょっとしたショックがある。明白と平明の詩の反対側にある幽玄の詩には、写実なかに幻視がまぎれ込んでいるようであると気づかせられることになる。
【付箋箇所】
9, 15, 36, 47, 73, 86, 110, 150, 155, 160, 162, 206, 214