読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 下』その4

能が盛んだったのは、刀をもって戦うのが男の仕事だった時代。ぶつかれば傷つき血の出る仕事。今はたとえ体を動かしてもメンタルが傷つくのが男に限らずみんなの仕事。どちらの時代にも、歩くときの杖となってくれるのは、情けある言葉。すこし変った浄土(異界・異次元)の言葉。普段使いされない祝祭の言葉。


三井寺
子と別れ狂乱した女が三井寺で僧の弟子となっていた子供と再会する劇。

子ゆゑに迷ふ親の身は 恥も人目も思はれず あら痛はしのおんことや よそ目も時によるものを 逢うを喜び給ふべし 嬉しながらも衰ふる 姿はさすがはづかしの もりて余れる涙かな げに逢ひがたき親と子の 縁は尽きせぬ契りとて 日こそ多きに今宵しも この三井寺に廻り来て 親子に遭うは なにゆゑぞ この鐘の声立てて 物狂のあるぞとて お咎めありしゆゑなれば 常の契りには 別れの鐘と厭ひしに 親子のための契りには 鐘ゆゑに逢ふ夜んり 嬉しき鐘の声かな

 

【通盛】
平通盛の霊が現れ戦死の有様を僧に伝え、読経を頼む。

すはあれを見よ好(ヨ)き敵に あふみの国の住人に 近江の国の住人に 木村の源五重章(ゲンゴシゲアキラ)が 鞭を上げて駆け来たる 通盛すこしも騒がず 抜き設けたる太刀なれば 兜の真向ちやうと打ち 返す太刀にて刺し違へ 共に修羅道の苦を受くる 憐れみを垂れ給ひ よく弔らひてたび給へ

 

【三輪】
三輪明神が玄賓僧都に罪業救済を願う劇。

契りも今宵ばかりなりと ねんごろに語れば さすが別れの悲しさに 帰る所を知らんとて 苧環に針をつけ 裳裾にこれを綴ぢつけて 跡を控えて慕ひ行く まだ青柳のいと長く 結ぶや早玉(ハヤタマ)の おのが力にささがにの 糸繰り返し行くほどに この山もとの神垣や 杉の下枝に留まりたり こはそもあさましや 契りし人の姿か その糸の三わげ残りしより 三輪のしるしのすぎし世を 語るにつけて恥づかしや

 

【紅葉狩】
平維茂が女に化けた鬼神に籠絡されたところを八幡宮の神の助けによって退治にいたる劇。

さなきだに人心 乱るる節は竹の葉の 露ばかりだに受けじとは 思ひしかども盃に 向かへば変はる心かな されば仏も戒めの 道はさまざま多けれど ことに飲酒(オンジュ)を破りなば 邪淫妄語もろともに 乱れ心の花鬘 かかる姿はまた世にも 類ひあらしのやまざくら 外の見る目もいかならん

 

【盛久】
平盛久が処刑の座で清水観音の加護を受け刑を免れ、頼朝からも許されるという劇

盛久やがて座に直り 清水の方(カタ)はそなたぞと 西に向ひて観音の 御名を唱へて待ちければ 太刀取後に廻りつつ 称念の声の下よりも 太刀振り上ぐればこはいかに おん経の光眼(マナコ)に塞がり 取り落としたる太刀を見れば 二つに折れて段々となる こはそもいかなることやらん

 

【八島】
八島の浦に旅する僧に義経の霊が語る修羅道の有様。

落下枝に帰らず 破鏡ふたたび照らさず しかれどもなお妄執の瞋恚(シンニ)とて 鬼神魂魄の境界に帰り われとこの身を苦しめて 修羅の巷に寄り来る波の 浅からざりし業因かな


【矢卓鴨】
賀茂社の御祖の神と別雷の神が水汲み女として神職の男の前に現われる劇。

風雨随時の み空の雲居 風雨随時の み空の雲居 別雷(ワケイカズチ)の 雲霧(クモキリ)を穿ち 光稲妻の 稲葉の露にも 宿る程だに なる雷の 雨を起こして 降り来る足音は ほろほろ ほろほろ とどろとどろと 踏み轟かす 鳴神の鼓の 時も到れば 五穀成就も 国土を守護し 治まる時には この神徳と 威光を現はし おはしまして 御祖(ミオヤ)の神(シン)は 糺(タダス)の森に 飛び去り飛び去り 入らせ給へば なお立ち添ふや 雲霧を わけいかづちの 神も天路に よぢ上り 神も天路に よぢ上つて 虚空に上(アガ)らせ 給ひけり

 

 

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伊藤正義
1930 -2009