読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

山本健吉『大伴家持』(1971)

安心の山本健吉。幅広い知識をベースに一流の鑑賞を披露してくれている。
 
【歌語に対する考察】

万葉の挽歌では、「死ぬ」という言葉を絶対に使わない。信仰的には、死は死ではなく、甦りだという考え方があった。「天知らす」「雲隠る」「過ぐ」「罷る」「家離る」「こやす」その他の表現を使う。死者を生けるものとみなしての表現であり、しかも死者の逆戻りを避けるために、なだめつすかしつして、死者に死の意識を持たせようとする。(「寿は知らず―安積皇子への挽歌」p134)

白栲(しろたへ)に舎人装束(よそ)ひて、和束山御輿立たして、ひさかたの天知らしぬれ。(巻三 475)


「天知らす」につづいて「知る」という語の解説についても目が引きつけられる。歌が歌われた時代の語の感触を鮮やかに伝え、歌の情趣を現代の人間にもよりよく味あわせてくれている。

家持が二十歳ではじめての妾を亡くしたとき、彼は父旅人の大伴郎女に捧げた挽歌にならって、悲しみをうたい上げようとする。そしてまず、旅人が「世の中は空しきものと知る時し」とうたったのに学んで、「うつせみの世は常なしと知るものを」と詠むのである。どちらも「知る」と言っていることが、注目される。単なる感情ではなく、感性を通しての認識なのである。(中略)平安時代になって、「もののあはれ」についても、最も早い二つの用例を残している紀貫之の場合、いずれも「もののあはれを知る」という使い方をしている。最も情緒的に、感ずべき対象も、実は知るべきものなのである。頭でなく心で、あるいは魂で、そのものの最も深い本質にまで届くことを、「知る」と言ったのだ。(「窈窕淑女―亡妾を悲傷びて」p74-75)

世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり (巻五 793)
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも (巻三 465)


見事な分析に、ページから目を離すとぼーっとなる。文学が生気を持っていた時代には一般書でこのレベルの書籍が結構出ていたのだと考えると、しばらく放心する。

 

【大伴家と家持の位置について】

家持は、反藤原でなく、反体制、反律令制なのだ。新しい官僚機構に徹底的になじみえない人間である。心情的に膚に合わないのだ。官僚制度がいやおうなく人間性を害い、非人間化することによってのみ官僚エリートとしての実を発揮出来る、その仕組みの中に甘んじて生きることの出来ない人間である。それは家持の意識の古さだが、当時もっとも新しい教養を身につけても、消すことの出来ない彼の意識の奥底に、それは根を据えている。彼の天皇への親近感は、その奥底あたりにつながっている。彼が歌を作るのも、その奥底のあたりにつながっている。(「大伴の氏と名―家持の孤立」p237)

 

大伴家持について書かれている文章をいくつか読んできた中で、本書はようやく家持の像を鮮明に結ばせてくれた。家を背負う誠実かつ現実的な感傷詩人。官僚制に馴染むことのできなかった反時代的な感性の持ち主。これで、他の家持像にもすこしは落ち着いて対峙することができそうな気がする。

 

【メモ:付箋位置】筑摩書房 日本詩人選5『大伴家持
22, 45, 75, 82, 93, 106, 117, 127, 147, 160, 169, 174, 183, 237

 

目次:
幼年時代
少年時代
橘家の饗宴
窈窕淑女―亡妾を悲傷びて
靭懸くる伴緒―大伴家の歴史
欝結の緒
寿は知らず―安積皇子への挽歌
晩蝉の歌―孤りごころ
否にはあらず―笠女郎、紀女郎を中心に
つかさびと家持
海行かば―内兵の誇り
樹下美人―憂鬱と倦怠と
悽惆の意―詩の頂点
移りゆく時―心疼く回想
大伴の氏と名―家持の孤立
虚空に消えた声―万葉末期の政治と人間
あとがき


山本健吉
1907 - 1988
大伴家持
718 - 785