読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

五味文彦「『一遍聖絵』の世界」(吉川弘文館 2021)

『絵巻で歩む宮廷世界の歴史』や『絵巻で読む中世』を書いた国文学者五味文彦が、鎌倉時代の名品、国宝『一遍聖絵』(1299)を単独で取り上げ解説した作品。
主立った場面を図版で提示しながら、そこに描き込まれた社会や人々の様子やものの名を言語化して、視線を細部にまで導いてくれるところが良い。示されたものの名については、とくに日本家屋や神社についての名称など知らないものも多く、専門的に知りたい人以外には過ぎた贅沢品という感じも無きにしも非ずだが、興味関心を持った場合には調べるきっかけをキチンと残してくれているのだから、謹んで受容しておくべきであろう。用語解説が付いてくれていたらもっと良かったかもと思うのは、それこそ贅沢か。

個人的には、一遍や一遍に連なる時宗の思想言動が『玉葉和歌集』(1312)を編纂した持明院統の人びとと親和性を持っていたという指摘に目を惹かれた。

『聖絵』が成った時の治天の君は、持明院統の伏見院であり、院は応長元年(1311)に勅撰話あ家集の撰集を京極為兼に命じ、翌年に『玉葉和歌集』が撰修されたが、それに一遍や聖戒の歌が載っている。

心のはたらきを重視して思ったことを飾らず詠むことを旨とした持明院統の人びとが集った京極派の考えに、「捨ててこそ」という拘りを排していく一遍の宗教思想に親和性があったことは、伝統を重んじる反京極派の二条派からの批判にもあるというから、間違いない情報であろう。
※ただ、ウェブ上で検索してみると本書で一遍の歌としてあげられている歌は弟子の他阿によるものらしいので、その点は注意が必要かもしれない(新研究で一遍作になったのだろうか?)。

あはれげにのがれても世はうかりけり命ながらぞすつべかりける

こちらは間違いなく一編の作品。乾いた感じが一遍らしい。

となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏

www.yoshikawa-k.co.jp

【付箋箇所】
17, 31, 34, 43, 105, 118, 119, 121, 126

目次:
はじめに
1 『一遍聖絵』の制作
 出家した一遍
 修行の始まり
 信仰の確信
 遊行の開始
 熊野での啓示

2 遊行の旅路
 融通念仏の遊行
 苦難の遊行を経て
 福岡の市
 京の因幡

3 踊念仏とともに
 踊念仏の始まり
 東山道の遊行
 奥州への道

4 東海道の一遍
 鎌倉入りと踊念仏の展開
 板屋舞台での踊念仏
 伊豆三島社での往生と奇瑞
 東海道での奇瑞

5 踊念仏の熱狂から農漁村へ
 入京への試練
 京の一遍
 北国の旅路をゆく

6 先達の古跡を追って
 神事・仏事の奇瑞
 聖徳太子の跡を訪ねて
 往生を考える
 今様に誘われて
 芸能を訪ねて

7 最期の旅
 伊予三島社の一遍
 往生の地を求めて
 臨終の地に向かう
 臨終の時
 一遍の往生

8 『聖絵』とその周辺
 絵巻はいかに制作されたか
 聖戒とその周辺
 『聖絵』の工夫
 円伊はいかなる絵師か
 『一遍聖絵』と他の一遍関係絵巻との違い


五味文彦
1946 -
一遍智真
1239 - 1289

参考:

uho360.hatenablog.com