読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

谷口江里也『戦争の悲惨 視覚表現史に革命を起した天才ゴヤの第二版画集』(未知谷 2016)

第二版画集『戦争の悲惨』は1810年、ゴヤ64歳の年に制作を開始されたと考えられる未刊行の第二版画集。1806年からのナポレオン軍のスペイン侵攻に対して、スペイン全土に湧き上がった民衆ゲリラ軍の決死の戦いを、依頼もなく出版の目途も立たないなか描かずにはいられなかった、ゴヤの心の叫びに触れることができる偉業82点。

作成期間中は、事実上ナポレオン軍の支配下に置かれたスペインにおける反旗を翻した民衆との独立戦争のさなかにあった。時代の移行期における諸階級の闘争と、闘争のなかで噴出暴走してしまう人間の愚かしい激情に対し、哀しみと憤りのうちにありながら、見ることと描くことを止めなかった視覚芸術界の鬼のような作家の作品。営利に結びつかないどころか、公表さえはばかられる創作を長期にわたって持続しえたゴヤの精神は尊敬に値する。

ほぼ19㎝×13㎝のサイズに収まる作品は、すべての作品が原寸大で収録されていることもあって、ゴヤの技術と思考と情動がかなり近いものとして感じられて、その悲惨な情景を見ていると胃がキリキリと痛んでくるほどであった。作品は芸術として素晴らしいのだが、どうしてここまで過酷なことを絵にとどめておけたのかと、おそろしくも感じた。

画家の務めは、権力に媚び、権力者たちの顔や姿を、それらしく描くことにあるのではない。あるいは、美しいものを単に美しく描くことにあるのではないはずだと思い定めたゴヤの目は、戦争という狂気のなかで繰り広げられる、酷過ぎる惨状を凝視し始める。(谷口江里也の解説文より)

同時期に描かれた油絵『マドリード、1808年5月2日』『マドリード、1808年5月3日』ではまだ物語性に回収されることで距離を取ることができた絵画と鑑賞者の関係が、『戦争の悲惨』においては即物的に逃げ場もなく迫ってくる。『ロス・カプリチョス』の版画の数々のポピュラリティーに比較して、『戦争の悲惨』の収録作はあまり見られることがないのが現状であると思うが、『ロス・カプリチョス』同等あるいはそれ以上に見るに値する作品であるとわたしは思う。息をつかせぬ傑作である。

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フランシスコ・デ・ゴヤ
1746 - 1828
谷口江里也
1948 -