読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

創世記第三章「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」 帰るまえの塵とふつうの塵のある一日

寝転がっている自分の存在が唐突に フローリングのゆかの上におちている塵と なんの違いもなく判別できなくなることもあると 同列併置の思念がはまって動かなくなった途端 ひどく動揺して気分まで悪くなった。 私が塵と変わらない。 おなじ家のゆかの上でお…

マルティン・ハイデッガー「へーベル ― 家の友」(原書1956, 理想社ハイデッガー選集8 高坂正顕・辻村公一 共訳 1960)

ヨハン・ペーター・ヘーベルはドイツ語方言であるアレマン語によって詩集を編んだ詩人。ハイデッガーは母なる言葉、国言語の重要性に眼を向ける思索者なので、ヘーベルのような民衆詩人を称揚する。本論文は、ヘーベルの活動を語りつつ、二〇世紀の機械化の…

【言語練習 横向き詩片】べたなぎでるとし

べっしのちからはべっしされるしんようないとりで ただしいとはいいがたいせかいでごにょごにょする なんてせかいだとなげいたところせかいがなんてと ぎちぎちにといかえしてくることにかんしてはむしべ た な ぎ で る と し

【言語練習 横向き詩片】でぐちなし、くちおしい

でていかなくてはならないというわけではなく ぐったりしてねていてもとがめられずにほうち ちからなくくりかえすどうさをぎんみしてなお なにもおきそうにないとうしんだいのとりなし しおれてこそのあじもかさんされることはないでぐちなし、くちおしい

マルティン・ハイデッガー「野の道」(原書1949, 理想社ハイデッガー選集8 高坂正顕・辻村公一 共訳 1960)

「野の道」は日本語訳本文8ページの小品。ハイデッガーの生まれた郊外の町の自然と小さな道についての随想、機械化の時代を生きる人間についての警告をふくんだ言葉である。本文より分量の多い解説と訳注は、内容が濃く、他のハイデッガー作品への導きもあ…

【言語練習 横向き詩片】そこは仮想で、手と手をとつて

そんたくされるほどのちからやちいはなくて こんりんざいうきあがることないそうさくと はめをはずしたことばのゆうぎにきょうじて かそうせかいにはかくじつにあるあんしんを そうはげんじつかいにはもちこめずのろいと うらみをもつものをだっしょくすべく…

ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』(原書1946, 岩波文庫 清水徹訳 2004)

一八九四年ごろから構想されはじめた小説『ムッシュー・テストと劇場で』からはじまるヴァレリー唯一の連作短編集。死の直前までテキストに手を入れていたり、ムッシュー・テストにまつわる自筆の版画やデッサンを描いていたりと、作者にとってそうとう愛着…

【言語練習 横向き詩片】なにもしない

なっているのはみみのおとじおんきょうほうしゃのしらべ におっているのはひふやねんまくにふれたたいきのべーる もとからひらいているあなはふさぎようなくあらわなまま しゅくさいのいろみをぬいたあんそくのときにみをしずめ なにものでもないなにものか…

マルティン・ハイデッガー『ヘルダーリンの詩の解明』(原書1951, 理想社ハイデッガー選集3 手塚富雄他訳 1963)

よく引用されるヘルダーリン論四篇が収録されている。 「帰郷――近親者に寄す」(1943) 訳:手塚富雄「ヘルダーリンと詩の本質」(1936) 訳:斎藤信治『あたかも、祭の日の・・・・』(1939) 訳:土田貞夫、竹内豊治『追想』(1943) 訳:土田貞夫、竹内豊治 こと…

詩人としての安東次男 思潮社現代詩文庫『安東次男詩集』(1970)を読む

現代の日本には少なくとも三種類のpoetがいる。俳人、歌人、現代自由詩人。明治時代までであればこれに漢詩人も加わることになる。複数の専門領域に分けられる日本の詩。すみ分けて、多くの詩人が生息できることには良い面と悪い面があるだろう。その辺の事…

マルティン・ハイデッガー『ことばについての対話』(原書1959, 理想社ハイデッガー選集21 手塚富雄訳 1968)

日本のドイツ文学者手塚富雄との対話を機縁にハイデッガーによって創作変奏された対話篇。手塚富雄の俤の濃い「日本の人」と「問う人」ハイデッガーの会話という形で、ことばについての実践的考察が展開される。ハイデッガーの教え子でもあった九鬼周造の「…