読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

篠原資明『差異の王国 美学講義』(2013)

芸術がわかるとは、違いがわかることなんだ。(p3)

参考になったのは、ベネデット・クローチェ(1866 - 1952)の論を引きながら経済と道徳について語っているところ。

経済と道徳については、どちらも意志的行為にかかわりますが、経済的活動の場合、意志の対象は個別的目的であるのに対し、道徳的活動の場合は、理性的で普遍的な目的です。個別的目的の追求は、普遍的目的を意図せずとも、いかようにも可能でしょうが、個別的目的の追求を一切許容しないまま、普遍的目的を標榜しても、いかにも空疎なだけでしょう。平たくいえば、個人個人の利益を求める活動をベースにしてはじめて、道徳ないしは善も生きてくるのです。(p87)

 ほかにベルクソンの「思い出としての記憶」と「収縮としての記憶」から「自由」を論じているところ(p111~113)も刺激的だった。芸術系の人はベルクソンを参照することが多いようだ。

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篠原資明
1950 -