読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 下』その1

凝った念の力を開放して沈静化させる酵素のような働きを日本の歌舞は担っているようだ。


【難波】
仁徳帝の即位を推進した王仁の霊の語りと舞の劇

しかればあまねき御心の 慈しみ深うして 八洲(ヤシマ)の外(ホカ)まで波もなく 広きおん恵み 筑波山の蔭よりも 茂き御影は大君の 国なれば土も木も 栄へ栄ふる津の国の 難波の梅の名にし負ふ 匂ひも四方(ヨモ)にあまねく 一花(イッケ)開くれば天下皆 春なれや万代(ヨロズヨ)の なほ安全(アンセン)ぞめでたき

  

【錦木】
男女の霊の語りと舞の劇。機織る女へ三年まで錦木を立てつづける男の苦悩と求婚達成のよろこびを物語る。

この国の慣らひにて 男女の仲立ちには 美しく木を飾り これを錦木と名付け 思う女の門(カド)に立て置き候ふところに 逢ふべき夫の立てたる木をば内へ取り入れ申し候 逢ふまじきと思へば取り入れ申さず候 さる者の候ひしが 思ふ女の門に立ても立てて候千夜続けて立て候へども つれなき女房にて つひに取り入れ申さず候 それにyり恋の思ひとなり かの男空しくなり候 女それを聞きてあわれに存し ともに空しくなり申し候ふを あまりに不便(フビン)に候とて土中(ドチウ)に築き籠め候により 錦塚と申し慣らわし候

 

【鵺】
鵺の亡心が旅僧に語る頼政の鵺退治のものがたり。僧の読経弔問。

われも憂きには暇(イトマ)なみの 潮にさされて 舟人は ささで来にけり空舟(ウツオブネ) ささで来にけり空舟(ウツオブネ) 現か夢か明てこそ みるめも刈らぬ蘆の室に ひと夜寝て海士人(アマビト)の 心の闇を弔(ト)ひ給へ ありがたや旅人は 世を遁れたるおん身なり われは名のみぞすておぶね のりの力を頼むなり 法の力を頼むなり

 

【軒端梅】

和泉式部が成仏して歌舞の菩薩となって東北院の軒端の梅にとどまることを語り舞う劇


なかなかのこと和泉式部の臥所なりしを 作りも替へずそのままにて 今に絶えせぬ眺めぞかし 不思議やさてはいにしへの 名を残し置く形見とて 花も主を慕(シト)ふかと 年々色香(トシドシイロカ)もいや増しに さも雅びたるおん気色

 

【野宮】
六条御息所の霊が妄執を語る劇

人びと轅(ナガエ)に取り付きつつ ひとだまひの奥に押しやられて 物見車の力もなき 身の程ぞ思ひ知られたる よしや思へば何事も 報ひの罪によも洩れじ 身はなほうしの小車(オグルマ)の廻り廻り来ていつまでぞ 妄執を晴らし給へや 妄執を晴らし給へや
昔を思ふ花の袖 月にと返す気色かな 野の宮の 月も昔や思ふらん 影淋しくも 森の下露(シタツユ) 森の下露

 

【白楽天
二本へと海を渡った白楽天住吉明神の詩歌の応酬劇。住吉明神は唐船を神力で吹き戻す。

人がましやな名もなき者なり されども歌を詠むことは 人間のみに限るべからず 生きとし生けるものごとに 歌を詠まぬはなきものを そもや生きとし生けるものとは さては鳥類畜類までも 和歌を詠ずるその例(タメシ) 和国において 証歌(ショオカ)多し 花に鳴く鶯 水に棲める蛙(カワズ)まで 唐土は知らず日本には 歌を詠み候ふぞ

 

芭蕉
芭蕉の精の語り舞い。

いや人とは恥づかしや まことはわれは非情の精 芭蕉の女と現はれたり そもや芭蕉の女ぞとは 何の縁にかかかる女体の 身をば受けさせ給ふらん その御不審はおん誤り なにか定めはあらかねの 土も草木も あめより下る 雨露の恵みを受けながら われとは知らぬ有情非情も おのづからなる姿となつて 

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伊藤正義
1930 -2009