読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

池上彰+佐藤優『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(角川新書 2020)

池上彰に情報量でも読解力でも発想力でもまさっている佐藤優という存在はやはりすごい。本書は宗教という専門分野ということもあってより迫力がある。語られている内容はいつもの池上彰佐藤優なのだが、漆の重ね塗りの仕上げの塗りに出会っているような印象も受けた。

エスは「汝の隣人を汝自身と同じように愛せ」と言いました。たんに「隣人を愛せ」と言ったのではありません。あなた自身と同じように隣人を愛するということは、自己愛の肯定でもあります。その意味で、キリスト教が説いているのは博愛ではないのです。まず自己愛を大切にすることがある。その上で、具体的な隣人を愛さなくてはならないのです。
(第二章「宗教は人を殺す思想とどう対峙するか」対談日:2017.09.23 佐藤 p146)

 

例えば私がどれほど頑張ったとしても、身長二メーターにはなれません。「差異」は認めるしかない。その「差異」から出てくるのが趣味です。趣味の違いとは「差異」であり、矛盾や対立とは違うから解消できません。
今日している話のほとんどは最終的には「差異」の問題、別の言い方をすると立場設定の問題、数学基礎論の世界で言うなら公理系の問題になってしまいます。そこにいきなり話を飛ばすといけないので、いろいろな議論はしないといけません。
(第三章「宗教はAI社会で誰の心を救うのか」対談日:2018.03.21 佐藤 p185)

 

幸福追求権の主体は社会でも国家でもありません。個人です。個人の幸福追求権は、イコール愚行権なのです。
愚行権とは、他人から見て「愚かなことをしているなぁ」と思えても、その人が良ければ構わない、ということです。(中略)他者危害排除の原則は守らないといけないけれど、それ以外は愚行権を尊重しないと、実はイノベーションも生まれないと思っています。
にもかかわらず、現在は社会が均質化、画一化して弱くなっています。それがさまざまな規格化とつながっているのでしょう。
(第三章「宗教はAI社会で誰の心を救うのか」対談日:2018.03.21 佐藤 p204-205)

複数あることの意味合いを感じながら生きよという教え。池上彰佐藤優もサラリーマンで終わらずに、本を作ってくれるていることにつくづく感謝する。

www.kadokawa.co.jp

目次:
まえがき(池上彰
序論 いま宗教とは(池上彰)/人間の思考と魂の根底に迫る(佐藤優
第一章 宗教は資本主義を超えられるか
第二章 宗教は人を殺す思想とどう対峙するか
第三章 宗教はAI社会で誰の心を救うのか
第四章 宗教は国家を超克するのか
あとがき(佐藤優


池上彰
1950 -
佐藤優
1960 -