読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

岡倉天心『英文収録 日本の覚醒 THE AWAKENING OF JAPAN』( 1904 夏野広訳 講談社学術文庫 2014 )余暇についてメモ

セネカの『道徳論集』のなかでもそれ自体としては肯定的にとらえられていた「暇」につづいて、岡倉天心の『日本の覚醒』でも「余暇」「閑暇」の重要性が説かれていたので、他の人の考えも併せてメモ。

岡倉天心 THE AWAKENING OF JAPAN 原文】

The philistine nature of industrialism and the restlessness of material progress are inimical to Eastern art. The machinery of competition imposes the monotony of fashion instead of the variety of life. The cheap is worshiped in place of the beautiful, while the rush and struggle of modern existence give no opportunity for the leisure required for the crystallization of ideals.

【夏野広訳 原本 中公日本の名著 1970】

産業主義の実利性、物質的進歩のせわしなさは、東洋の芸術にとって有害である。競争の仕組みは、生活の多様性のかわりに流行の単調さをおしつける。うつくしさのかわりに安いことが尊ばれる一方、近代生活の煩忙と闘争が、理想を結晶させるのに必要な閑暇をあたえない。(九「再生」p101)

"opportunity for the leisure"の訳語としての「閑暇」。レジャーの機会と暇という表現。拘束されていない楽しみのための自由時間というところが共通部分になるのだろうか。「理想を結晶させるのに必要な閑暇」。鑑賞者が鑑賞して、しみじみ味わったうえでの積極的肯定をつくりだしていく時間。岡倉天心は日本美術界の重鎮で、それにそって個人的な趣味をのせて「閑暇」を言わせてもらうならば、久隅守景「納涼図屏風」とか、河鍋暁斎「美人観蛙戯図」で表現されているような時間が日本的な「閑暇」のイメージにあたるのではないかと思う。高貴な真理や理想の側だけに突き抜けない日常的な淡くてこまやかな生の味わい。ボーっとしていられる時に相応しいものごとを肌感覚で味わい吟味嘆賞している時間。西欧人文系の著作のなかで語られる有意な時間とは微妙に異なる無や無為に親和性のある時間が日本の暇にはあるように感じる。ヨゼフ・ピーパーのキリスト教神学から語られる神の技を想い褒めたたえるための時間としての余暇(安息日)、働かないことを説くアガンベンの政治と芸術の時間、ギリシア・ローマの奴隷社会での自由民が自由学芸を身につけ披露するための時間、バートランド・ラッセルの学問や哲学的思索を行うための時間、國分功一郎の社交の豊かさを楽しむ時間。闘争にいたらないハレの世界での交流を積極的になそうという傾向、政治的な匂いが強い時間が西洋の暇にはありそうで、それに比べれば日本の暇はより引きこもりがちで隠れたところでしずかに溢れてくる法悦のようなものを待っているような時間に近い感じがする。
※今回は『日本の覚醒』の一部分を近視眼的に見ての個人的な印象メモです。

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岡倉天心
1854 - 1891
夏野広(帯金豊)
1926 - 1972