読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ノヴァーリス『夜の讃歌・サイスの弟子たち 他一篇』(岩波文庫 今泉文子訳 2015)

ノヴァーリスの『花粉』からデリダの『散種』へという仲正昌樹の『モデルネの葛藤』のなかにでてきた案内を読んで、実際にノヴァーリスの『花粉』が収録されている本書を手に取ってみた。

シュレーゲルの反省と否定による無限超出に比べて、ノヴァーリスにはロマン派のあまやかなイメージがあって私は敬遠しているところがあったのだが、実際に作品を読んでみると敬虔で肯定的な捉え方の強い進歩的知識人であり芸術家であったのだなという思いに変わった。伝記的な情報をみると製塩所の監督官として評価の高い仕事をしていたようなところにも好感が持てた。病気のために不幸にも若くして生涯を閉じることになってしまったが、30年に満たない一生のなかで、かくも質の高い仕事を成したことは尊敬に値する。時代的にも地域的にも何か特別な事態にあったとしか考えられないほど豊かで個性的な人物を輩出したのが1770年代前半ドイツ生まれの世代で、そのなかでも前期ドイツ・ロマン主義の華としてノヴァーリスは突出していたと見てよい。
敬虔なキリスト教徒で身体の束縛から離れた死後の魂により高い価値を見る傾向があるところなどは、現代日本の感覚からいえば理解と共感はしがたいというところはあるが、逆にそこを括弧に入れして読み取るときにひろがる世界の大きさと深さ、そして彩りには目を見張るものがある。たいした才能だね、ノヴァーリスと思うほかない。

第一印象が、絶対的に機知に富んでいるという印象、すなわち、霊[精神]でありながら特定の個人でもあるという印象を与える場合、その人間は、きわめて品位ある者に見える。すぐれた人間ならだれしも、いわば、眼に見える外観を理想的な形でパロディー化しているようなひとつの霊が、身内を漂っていくように見えるにちがいない。多くの人間の場合、あたかもこの例が、眼に見える外観に顔をしかめているかのようである。
(『花粉』断章58)

ここに描かれた品位ある者が、まさにノヴァーリスのようなのだった。

www.iwanami.co.jp

【付箋箇所】
『夜の讃歌』:32, 34, 
『サイスの弟子たち』:57, 59, 61, 99, 102
『花粉』(断章番号):21, 26, 29, 34, 44, 58, 74, 76, 77, 87, 94, 95, 104, 110, 補遺:22, 24, 120

 

収録作:
夜と闇を讃える長編詩『夜の讃歌』1800
自然とは何かを問う哲学的中編小説『サイスの弟子たち』1802
哲学的断章集『花粉』1798

ノヴァーリス
1772-1801
今泉文子
1944 -