読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

神原正明『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』(河出書房新社 2000, 講談社学術文庫 2017)

いま見ても幻想的でおかしさにあふれたヒエロニムス・ボスの『快楽の園』をイコノロジー図像学)の立場から細部にこだわり読み解くことをテーマに掲げて書かれた著作。

ボスが生きた15世紀末に作品が受容された様子からはじまって歴史の厚みのなかで様々な解釈がなされてきたことを作品の画くパートごとに取り上げながら作品解釈の広さと深さを広げていこうとしているようだ。

作品が描かれた当時の需要者層がよく知っていたイメージや暗喩やことわざや語呂合わせ言葉遊びなどについては確かな資料として残されているものはあまりないようで、著者はほとんど断言することなく解釈のパターンを並べていきつつ、比較的妥当と思われるものにアクセントをつけながら読解をつづけていっている。

全体的にはあまりすっきりした印象はなく、自分でつづけて描かれているものの意味を探っていくことを促されているような感触が残る。

そのなかではっきりしていたのは三連祭壇画である『快楽の園』は左からの右に向かって展開しているということ。つまり左のエデンの園からはじまり、中央の肉体が氾濫する快楽の園では自由意思による行為と分岐の場であることが示されて、最後に右側の地獄の諸相に至りつくというものだ。その展開の方向性を明確に示してくれたことだけでも、作品の見方が安定するのでありがたく、作品に一歩近づけた感覚が起こってくる。

もうひとつはっきり指摘されているのは作品『楽園の園』には子供が存在しないということ。そう言われてもう一度見てみると子供だけではなく老人もいなさそうだ。そうするとキリスト教最後の審判での復活後の世界が想起されるが、天国はなく、画面を埋める様々な生物や植物や構造物たちも精神的というよりも物質的な猥雑さに充ちている。聖なるものではなく俗なるものが幅を利かせている(著者の解釈では中央パネルは「最後の審判」の前夜)。聖画ではなく娯楽作品として作成当時から楽しまれていることも本書では指摘されていて、現代のわれわれもまずは絵を楽しむことを勧められているような気にもなる。

 

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【目次】
序章 『快楽の園』の全体像
第1章 外翼パネル
第2章 左翼パネル
第3章 中央パネル
第4章 右翼パネル

【付箋箇所(河出書房新社版、上下二段組みの本篇部分は上段u,下段lを付記)】
7, 8, 12, 16u, 17u, 7u,  92l,  104l,  120u, 128u, 133l, 143l, 168, 172, 190

ヒエロニムス・ボス
1450頃 - 1516

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神原正明
1952 - 

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