読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

スピノザ

國分功一郎『スピノザの方法』(2011 みすず書房)

「説得というモーメントに引きずられている」デカルト(p141)と「説得に無関心で、説き伏せることのないスピノザ」(p355)という視点。 國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』(2011 朝日出版社)でウィリアム・モリスを引きながら「人の生活はバラで飾られていな…

チャールズ・ジャレット『知の教科書 スピノザ』(原書2007, 講談社選書メチエ2015)

アメリカのスピノザ研究者による入門書。エチカを中心に情報をたくさん盛り込んだ書籍だが、入門書の一冊目として推薦できるかといえば、かなり難しい。著者がスピノザの思想に距離をとっており、興味付けという点では、むしろ逆効果となる懸念もある。岩波…

ジル・ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』(原書1968, 訳書1991)

プロテスタント(長老派)で神学者の佐藤優さんは哲学者とくにスピノザが嫌い。マルクスはよくてスピノザはダメ。ライプニッツはよく引用しているので比較的好ましい哲学者に入りそう。どうしてなのかいまひとつ分からないが、スピノザを神学者としての第一…

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(原書1819, 中央公論社 西尾幹二訳1978)

ショーペンハウアー三十一歳の時に刊行された主著。とりあえず通読完了。厭世哲学といわれることも多いが、実作の印象はだいぶ異なる。外部なき世界を思索の対象としている哲学者ショーペンハウアーの根本は、ペシミズムもオプティミズムも超えて「世界はた…

ジル・ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』(原書1981,訳書1994)に学ぶ「心身並行論」

ドゥルーズはスピノザの心身並行論に関して、身体の導入による意識の評価切り下げという視点を提示し、意識にならない無意識的な領域の存在を浮上させる。 この心身並行論の実践的な意義は、意識によって情念〔心の受動〕を制しようとする<道徳的倫理観(モ…

スピノザ『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』で境界のない世界像に触れる

スピノザ二十七、八歳、後の『エチカ』に直結する論文。スピノザにとって神以外に存在はない。この「神即自然」の認識は例えば次の如く語られる。 神は内在的原因であって超越的原因でない。なぜなら神は一切を自己自身のうちに生じ自己の外に生じないからで…

アラン『スピノザに倣いて』(原書1901, 1949 訳書1994)

アラン35歳の時の処女作。後年の縦横無尽なエッセイを予感させるものの、まだ生硬さがのこるはじまりの書。スピノザの心身合一説を敷衍した箇所はアランの本質を成すしなやかさがすでに垣間見えている。 われわれがもっている外的物体の観念は、外的物体の…

カール・ヤスパース『スピノザ』(原書1957, 訳書1967) 理想社 ヤスパース選集23

本書の興味深い点は、ヤスパースが《神即自然》の哲学者スピノザの静謐さに物足りなさを感じているところ。冷静なね、闘い方っていうのもあるのではないんですかね、と秘かに思いつつ、実存を語るヤスパースの熱さも注ぎ入れていただけることに感謝しながら…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(原書2018, 訳書2019)

エルネスト・ラクラウとの共著『民主主義の革命』もそうだったが、現実政治への提言の書として受け止めるよりも、パワーバランスに関する理論書として読んだ方が面白い。 フロイトが示しているのは、人格が自我の透明性を中心に組織されているのではなく、行…

ニコラウス・クザーヌス「神を見ることについて」(1453)

無限について語るニコラウス・クザーヌスを読んでいるとつねにスピノザのことを意識するのだが、ニコラウス・クザーヌスは受肉や三一性も説きつづけるのでよりアクロバティックに見える。 もしそれが、無限性から縮限されることが可能なものであるならば、そ…

大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人

大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人 bookclub.kodansha.co.jp 偉大な読み手二人による対談。批評家(哲学者)と小説家という違いはあれ、読み、それによって書くことを深めていった二人の人間の大きさを改めて体感した。 中野重治のエチカ 1994/…

江川隆男 超人の倫理 <哲学すること>入門

江川隆男 超人の倫理 <哲学すること>入門 www.kawade.co.jp 2013 スピノザ解釈が衝撃的。とくに第二章の「精神と身体は並行していると考えること」のなかの「物体は身体であり、身体は物体である」(p91~96)は衝撃的で、そこで主張されている内容にはなか…