読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 中』その2

謡曲を読むと、中世は人の扱いが荒い時代だったのだなと感じさせてくれる。

【桜川】
生き別れた母(狂女)と子の再会の劇

なかなかのこと花は今が盛りにて候 またここに面白きことの候 女物狂の候ふが 美しき掬ひ網を持ちて 桜川に流るる花を掬ひ候ふが けしからず面白う狂ひ候 これに暫くござ候ひて この物狂を幼き人にも見せ参らせられ候へ

 

【実盛】
斎藤別当実盛の霊と遊行上人の語らいの劇

あな無慚やな斎藤別当にて候ひけるぞや 実盛常に申ししは 六十に余つて戦をせば 若殿ばらと争ひて 先を駆けんも大人げなし また老武者とて人びとに 侮(アナズ)られんも口惜しかるべし 鬢鬚(ビンヒゲ)を墨に染め 若やぎ討死すべきよし 常々申し候ひしが まことに染めて候

 

【志賀】
志賀明神(大友黒主)と廷臣の古歌問答の劇

雪ならばいくたび袖を払はまし 花の吹雪の志賀の山 越えても同じ花園の 里も春めく近江の海の 志賀辛崎の松風までも 千声(チゴエ)の春ののどけさよ

 

【自然居士】
説教芸能者自然居士が人商人の手にある女児を取り戻す劇

打たれて声の出でざるは もし空しくやなりつらん なにしに空しくなるべきぞと 引き立て見れば 見には繩 口には綿の轡を嵌め 泣けども声が出でばこそ あら不便(フビン)の者や連れて帰らうずるぞ 心安く思ひ候へ

 

【春栄】
高橋権頭家次のもとにある捕虜の増尾春栄丸と兄増尾種直の対面と解放の劇

それ十二因縁より二十五有(ウ)の沈淪 生じては死し死しては生じ 流転に廻ること生々の親子皆もつて誰かまた自他ならん しかれば羊鹿牛車(ヨウロクゴシャ)に乗り 火宅の境を出でずして 煩悩業苦(ゴク)の三つの綱に 繋がれ来ぬるはかなさよ

 

俊寛
流罪となった俊寛が一人赦免されず鬼界島に取り残される嘆きの劇

こはいかに罪も同じ罪 配所も同じ配所 非常も同じ大赦なるに 一人誓ひの網に洩れて 沈み果てなんことはいかに このほどは三人一所にありつるだに さも恐ろしく凄ましき 荒磯島にただ一人 離れて海士(アマ)の捨て草の 波の藻屑の寄る辺もなくて あられんものかあさましや 嘆くにかひもなぎさの千鳥 なくばかりなるありさまかな

  

【猩々】
酒を売り富貴を得た商人高風と海中に住む酒飲みの猩々の交歓の劇

市(イチ)ごとに来たり酒を飲むものの候ふが 盃の数は重なれども 面色(メンショク)はさらに変はらず候ふほどに あまりに不審に存じ名を尋ねて候へば 海中に住む猩々と申すものなり 潯陽(シンニョオ)の江に出でて酒を湛へ待つならば かならず来たるべきよし申し候ふほどに 今日は潯陽の江に出でて酒を勧めばやと存じ候 

 

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伊藤正義
1930 -2009