読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

詩人としての堀田善衞 その2『堀田善衞詩集 一九四二~一九六六』(集英社 1999)

戦時中の雑誌掲載作品から、「広場の孤独」で1951年下期の芥川賞をとり、本格的に小説を書きはじめるまでの、1950年代初頭までの雑誌掲載作品を中心に集められた、没後刊行の拾遺詩集。

死に囲まれた絶望と哀しみから、冷たく静かで深い怒りを経て、言葉の力による闘争に踏み込んでいく約10年の詩魂の変遷を、読者がともにくぐり抜けることを可能にしてくれたアンソロジー

追体験とまではいかないが、堀田善衞の青春期の嵐のような体験を、時間をかけて自覚的に引き受けていく、こころの動きに触れることができる。

短い詩句にも籠る、疑いようのない詩才と、後に小説家として大成することもうかがわせる、長めの詩作品における構成力の確かさが、くりかえし読むことを誘っている。戦後詩の主流となった糾弾姿勢とはどこか違うところから聞えてくる、慟哭と、対抗への態勢づくりへの点検の聲が、今でも古びることなく新鮮に響く。時代を超えて流れるものの姿を言葉で掬い上げていることの貴さが、読後、じんわりと湧き出てくる。

聞け! われらの歌を音楽を
われらの歌 ただ単音の
アーアーアーアーアー
無窮電音のやうなこの歌を
われらの歌は耳を圧する黒いものの近迫に押し出され息詰まるその果てに
アーアーアーアーアーと叫び
われらの頭蓋の後ろについた眼を蒙らまし恐怖を殺ろし
夜の暗闇に一筋の稲妻でも生まうとして叫び出る……
一声のアー呑み込まれても
一声のアー必ず新に歌ひ出る
一声は一声に重なり永遠につらなるこのアー
アーアーアーアーアー………
(暗黒の詠唱と合唱」部分 初出『個性』1949年10月号)

日本ではめずらしい、完成度の高い劇詩の一部である。

「アー」の連呼は、空海の阿字観をも想起させ、言語、特に詩歌の力の発現元にも目を向けさせてくれているようである。


堀田善衞
1918 - 1998