読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

中央公論社 日本の絵巻19『西行物語絵巻』(1988年刊 編集・解説 小松茂美 )

仏にはさくらの花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば

73歳で示寂した後の世、それほど時を置かずに描かれはじめた西行の生涯を描いた絵巻で、今日に伝わる三種を収めた一冊。その絵巻三種は以下のとおり。

徳川美術館本一巻(絵:土佐経隆、詞書:藤原為家(1198-1275))鎌倉期
萬屋美術館本一巻(絵:土佐経隆、詞書:藤原為家(1198-1275))鎌倉期
渡辺家本六巻(絵:俵屋宗達、詞書:烏丸光広(1198-1275))江戸前期の作

実寸はそれぞれ縦30cm程度のもので、徳川美術館本と萬屋美術館本は収録の際に縦25cmの比較的実寸に近い縮小率で掲載、渡辺家本は縦14cmという半分以下の縮小率で掲載されている。縮小率の違いもあって一概に印象の違いを語るのは適当ではないかもしれないが、鎌倉期の土佐経隆が描く作品は細い輪郭線がしっかり描かれていて描写もより写実的、江戸前期の俵屋宗達が描く作品は輪郭線を強調しないやわらかな表現で色彩の豊かさと意匠を凝らした様式美による動感が艶めかしく物語的リアリティに満ちた別世界をつくりあげている。
土佐経隆の絵巻は描かれた場面ごとの質の高さで驚きを与えてくれるが、俵屋宗達の絵巻は場面ごとに見ているときの感興に加えて、絵の三巻に次いで詞書の三巻を読みすすめる段階になって言葉を機縁に改めて呼び出されるイメージの深まりが不思議なほど味わいがある。俵屋宗達の絵巻の絵は言葉による物語によって余韻がより芳醇になるようだ。全館そろって残存している渡辺家本の詞書の力もあるのであろう。

同国善通寺と申す山に住み侍りしに、菴の前なる松を見て、「久に経てわが後の世を問へよ松 跡偲ぶべき人も無き身ぞ」と詠めて、土佐の方へや罷りなましと思ひ立つ事侍りしに、弘法大師の御縁懐かしくて、松物言ひせば、如何許りなる契りせましと覚えて、
 此処を又我が住み憂くて浮かれなば松は一人にならんとすらん

絵巻に採られた西行の歌も良い。

小松茂美の解説によると、西行没後すぐに伝説化され物語り化されてつくられた初期の西行物語絵巻は、当時の富裕層の子女が愉しみ読むものであったということだが、世の「果無さ(はかなさ)」や「無常」を詠う者にかよわい魂が感光するというという状況には、すこし甘美な腐臭が漂っていたようにも思える。

西行
1118 - 1190
小松茂美
1925 - 2010