読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー『神 第一版・第二版 スピノザをめぐる対話』(原著 1787, 1803, 法政大学出版局 吉田達訳 2018)

ヤコービ(1743-1819)を相手にした「汎神論論争」において、当時言論界で無神論者として忌避されていたスピノザの思想をはじめて擁護し、肯定的に読み解く方向性を与えた対話篇。人格神でも目的や意志を持った創造神でもない無限の実体としての神即自然のスピノザの神の定義を押さえ、無神論でも創造論とも異なる外部も境界も持たない世界観を積極的に説いたところは、いまだに読むに値するものをもっている。どれくらいの価値かというと、ヘルダーの書いた『言語起源論』を、今時点で読んでみてもいいかなと思わせるくらい。

古典としての力は健在。ただ、若きゲーテに疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)の思想を与えたことからも想像されるように、厳密な思想家というよりは美的解釈を好む文芸批評家的側面の強いヘルダーのスピノザ解釈は、スピノザ自身の著作からはだいぶ棘を抜かれたうえに、糖衣を被せられたものになっている。

対話篇のなかでは、スピノザの思想に瞠目されながら、スピノザの無機質な神思想を回避しようとして、「弁神論」や予定調和説の「モナドジー」を綴ったライプニッツのことが頻繁に引き合いに出されているのと同じ頻度でもって、スピノザの思想がヘルダー寄りに改変されているような印象がある。

唯一無限の実体としての神の属性として延長と思惟に代わって万物を貫く力が召喚され、実体の局所的な様態として析出している個物が有機体を構成する器官として扱われていることによって、この世界やこの私という存在が、ひとつの主観に回収されやすく語り直されている。これはどちらかというとライプニッツ的世界観で、対話を主導するテオフロンという人物もライプニッツに親和的であることから、スピノザ擁護のかたちを借りたライプニッツ復興思想であるようにも見える。

単にスピノザ思想の解説書と見れば、より厳密なものは日本の研究界にいくつもあるだろう。蓄積された研究成果の果てに新たに書かれる解説書や研究書の位相とは別に、スピノザライプニッツの思想のあいだにある緊張感を、副次的に表面化していることが、本書に残されている現代的な意味であろう。スピノザばかりでなくライプニッツも読もうとさせるところが、本著の力である。とりあえず未読のライプニッツ『人間知性新論』が手に入りそうかどうか調べさせるだけの力はあった。

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【付箋箇所】
16, 24, 68, 114, 137, 155, 171, 181, 182, 185, 210, 213, 224, 245, 277, 293, 300, 307, 322, 327, 344, 346, 413, 422, 424, 431, 432

目次:
第一版
 第一版への序文
 第1の対話
 第2の対話
 第3の対話
 第4の対話
 第5の対話

第二版
 第二版への序文
 第1の対話
 第2の対話
 第3の対話
 第4の対話
 第5の対話
 〔第二版の付録〕


ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー
1744 - 1803
吉田達
1964 -