読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

戸谷洋志『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版 2018)

日本初のハンス・ヨナスの入門書。1988年生まれの若手の研究者が「未来への責任」という哲学的テーゼを、ヨナスの著作からの引用を豊富にちりばめながら、理解しやすく展開してくれた著作。非常に丁寧に、興味を持てるように、目配りをきかせながらヨナスの思想を伝えてくれている良書。今現在アマゾンのレビューは四件あって、すべて星五つの高評価。個人的にはヨナスの「未来への責任」を哲学的に基礎づけるという堅固な歩みを教えてくれたことが一番大きい。今現在と未来へ向けての参考という点からいうと、斉藤幸平の『人新世の「資本論」』などとあわせて読んだら、著者の気質のちがいなども感じながら評価できて良いのではないかと思う。

「ホモ・ピクトル」(描く人)。

ヨナスが「像を作るという能力を人間の条件として提起」しているということからは、アンドレ・ルロワ=グーランやカッシーラー中沢新一などの、抽象化された記号をつくる人間の行動についの言説も思い浮かんできて、とても興味を持てた。

ウィキペディアによるとホワイトヘッドの哲学に影響を受けているということで、そちらも興味深い。

www.hanmoto.com


【付箋箇所】
46, 76, 80, 91, 102, 120, 156, 181,188

目次:
第1章 ヨナスの人生
第2章 テクノロジーについて―技術論
第3章 生命について―哲学的生命論
第4章 人間について―哲学的人間学
第5章 責任について―責任概念の構造
第6章 未来倫理について―形而上学的演繹
第7章 神について―神話の思想

 

ハンス・ヨナスの日本語訳著作のうち本書に関係の深いもの

『責任という原理 科学技術文明のための倫理学の試み』

www.toshindo-pub.com

 

『生命の哲学 有機体と自由』

www.h-up.com

 

アウシュヴィッツ以後の神』

www.h-up.com

 

ハンス・ヨナス
1903 - 1993
戸谷洋志
1988 -

 

こちらもご参考まで

uho360.hatenablog.com

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uho360.hatenablog.com

 

 

エルンスト・カッシーラー『アインシュタインの相対性理論』(原書 1921, 山本義隆訳 河出書房新社 1976, 1996 )

私は、にわかではあるが、カッシーラーのファンである。今年の正月に『シンボル形式の哲学』を読んで以来、この人は本物だと思っている。相対性理論量子論の意味を、文系読者にもきちんと伝えてくれる、かけがえのない人物なのではないかと思っている。記号によって世界を捉える人間の活動を見事に押さえている精緻な論考になっているという印象が強い。

 

20世紀後半を代表する物理学者のホーキングが、現代物理学の最先端を取り込む最新の哲学がないことを嘆いていたことは鮮烈に記憶している。そのような物理学者側からの不満が大きい現代的状況の少し前、古典力学の世界から相対論や場の理論に移り行こうとしていた時代にあって、見事にその意味合いを捉え、教化していこうとしたカッシーラーの言説は、100年後の今も精彩さを失っていない。20世紀前半に、物理学と哲学、アインシュタインカッシーラーの幸福な出会いがあった。時空の存在に疑いを持たない直観の形式を超えて、直観を支える時空をも相対化する場と関数の動きを伴う思考の意味が、カッシーラーのこの論文で強調展開されている。本書はアインシュタイン自身にも目を通してもらうことで成り立っているため、論旨の正確性も疑いがないレベルであることも保証されている。まことに稀有な作品で、一般読者が読めるかたちで書物として存在していることはまことにありがたい。

uho360.hatenablog.com

 

本書はカッシーラーの本文が180ページ。訳者解説は活字のポイントがひとまわり小さいもので68ページ。本文のインパクトも凄いが、訳者解説のカッシーラーの業績における『アインシュタイン相対性理論』の意味を伝える文章も圧倒的。読み応え十分、満足度も十分の文章力を味わえる。

 

このような像を詳細に描写しようと試みれば試みるほど、それはわれわれの表象能力に不可能なことを要求し、絶対的に矛盾した諸性質を統一することを強いるのであった。したがって現代物理学はますますもってこの種の感性的記述と説明を原理的に断念せざるを得ないと考えるようになった。
(第4章「物質・エーテル・空間」p96)

 

あることを断念したことによって開けた新たな豊かな世界の恩恵を受けて、われわれの今現在の世界が展開している。何かを諦め手放すことによって見えてくる新たな世界もあるということを教えてくれていて、たいへん示唆的。


【付箋箇所】
20, 52, 74, 86, 96, 106, 114, 120, 132、135, 139, 143, 146, 153, 160, 168, 174, 176, 222, 231, 247, 250, 255, 259, 264, 269, 270

 

www.kawade.co.jp

目次:
第1章 計量概念と事物概念
第2章 相対性理論の経験的基礎と概念的基礎
第3章 哲学的真理概念と相対性理論
第4章 物質・エーテル・空間
第5章 批判的観念論の空間・時間概念と相対性理論
第6章 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学
第7章 相対性理論と実在の問題

解説
力学的世界像の超克と<象徴形式の哲学>


エルンスト・カッシーラー
1874 - 1945
アルベルト・アインシュタイン
1879 - 1955
山本義隆
1952 -

 

参考:

uho360.hatenablog.com

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ジェイムズ・ジョイスの詩 出口泰生訳『室内楽 ジョイス抒情詩集』(白凰社 1972)

ジェイムズ・ジョイスの二つの詩集を完全訳出。

かなり無防備な抒情詩作品。

刊行時は原詩の分冊と組で販売されていたようだが、近所の図書館で借り出せたのは日本語訳分冊のみ。原詩も掲載しているネット上の紹介サイトを検索して見てみると、『フィネガンズ・ウェイク』のようなアクロバティックな語彙は用いられてなさそうなので、身構えずに素直に読むのもいいかなと思った。

 

室内楽』("Chamber Music" 1907)

こちらは『ダブリナーズ』/『ダブリン市民』に収められた「死者たち」("The Dead")を書いた時期の作品。ぼくとぼくの友と美しいきみの三角関係を悲しく歌い上げる連作。すっと素直にジョイスのことばに乗りうつることができれば吉。ジョイスの情の甘さと苦さをうつした詩篇を、抒情のひとつのあり方として享受させていただいた。

ぼくの 行くところ、灰いろの
    冷たい風が 吹いている。
とおくの 足もとで
    ぼくは 潮騒の 音を 聞く。
一日じゅう 一晩じゅう
    潮騒の ながれを 聞いている。

(『室内楽』ⅩⅩⅩⅤ部分)

 


『ポウムズ・ペニーチ』("Pomes Penyeach" 1927)

こちらは『フィネガンズ・ウェイク』執筆期間に書きとめられた詩の集成。最終作執筆中に夏目漱石が午前中『明暗』を書きながら漢詩を午後に書いてバランスをとっていたことを思い起こしつつ、通読。あの『フィネガンズ・ウェイク』に立ち向かうには弱々しいとおもえる詩篇でも、自分自身の精神のバランスをとるために書かれ、出版されたことばの集成かもしれない思うと、なんだかグッとくる。弟子の位置にいたベケットにはないような素直な表出に、すこし動揺する。

ぼくは 聞く、遠くから 低い言葉が 衰弱する脳のなかで 呼吸するのを。
来たれ! ぼくは ゆだねる。 ぼくの上に 深くのしかかれ! ぼくは ここだ。
(『ポウムズ・ペニーチ』「祈り」部分)

両詩集ともに、ある程度の速度をもって読みすすめるほうが、詩に込められた想いの定着はすすむかと思えた。初読で全体の内容を確認した後で、二度目以降で純粋な鑑賞をしていただくのが、より豊かな鑑賞につながるのではないかという想いを持った。世界的に特異な散文を生む作家の、根底にあるやわらかな抒情精神に触れるのに適した一冊。ジョイスが絵本で見せた、ストレートな感傷性にも通底する言語作品。

uho360.hatenablog.com



【付箋詩】
室内楽』("Chamber Music" 1907)
ⅠⅢ, ⅩⅥ,ⅩⅩⅦ, ⅩⅩⅩⅣ, ⅩⅩⅩⅤ

『ポウムズ・ペニーチ』("Pomes Penyeach" 1927)
夜景, 真夜中の鏡の中の役者たちの憶い出, 祈り


ジェイムズ・ジョイス
1882 - 1941
出口泰生
1929 -

 

滝口清榮『ヘーゲル哲学入門』(社会評論社 2016)

マルクスの思想にもつながるだろうヘーゲルのことばがちょこちょこ顔を出してきてなかなか楽しい。

「国家は終焉しなければならない」

「コルポラツィオーン(職業団体)」

「ポリツァイ(内務ー福祉行政)」

「中間階級」

「中間身分」

市民社会

などなど。

ヘーゲル哲学全般に言及しているが、著者の専門である社会哲学の領域の記述が多いのが特徴。また編年体の記述で、ヘーゲルの伝記的なエピソードもうまく埋め込まれていて、読み物としての魅力もけっこう高い。

 

リチャード・ローティが『アメリカ ― 未完のプロジェクト』のなかでヘーゲルのことを「私の精神と魂のもっともすぐれた最愛の医師」といって称賛していると知れたことも、なんだか得した気分になれた。

www.koyoshobo.co.jp

もうちょっとしたらローティも読みたい。

 

【付箋箇所】
22, 25, 31, 42, 50, 60, 68, 74, 89, 107, 118, 128, 143, 144, 146, 151, 158, 162

 

www.shahyo.com

 

目次:
第1章 青年期―思想の革命と新たな世界の予感
第2章 ひとりの哲学者としてたつ―変転する時代のなかで
第3章 過去への憧憬、未来への願望。否、現在に立つ―ヘーゲル社会哲学の成立
第4章 『精神現象学』―意識は世界をくまなく遍歴し、経験する
第5章 哲学者として羽ばたく―ニュルンベルク時代、ハイデルベルク時代
第6章 西南ドイツ立憲運動、そしてヘーゲル法哲学講義
第7章 ベルリン時代―多産な講義活動、学派の形成
第8章 ヘーゲル哲学、その後そして現代

ヘーゲル
1770 - 1831
滝口清榮
1952 -

 

【読了本四冊】白川静+梅原猛『呪の思想 神と人との間』(平凡社ライブラリー)、ドニ・ユイスマン『美学』(白水社文庫クセジュ)、斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)、鈴木大拙『華厳の研究』(角川ソフィア文庫)

白川静梅原猛『呪の思想 神と人との間』(平凡社ライブラリー 2011, 平凡社 2002)

日本が誇る変人師弟対談。白川静が師、梅原猛が弟子という、異次元を垣間見させてくれるような組合せ。

独自の思想を抱いてしまった思想家の語りが日常の思考を揺さぶらずにはおかない。

本書の中では「訓読みをするのは日本人だけです」という白川静の指摘がいちばん衝撃的。

日本人であれば漢字の「訓読み」に想いをはせる必要があるといいたそうな熱に、とにかく同調する必要がありそうに感じさせてくれる。異様に存在感のある語りに出会える一冊。

 

www.heibonsha.co.jp

目次:
第1章 ト文・金文―漢字の呪
第2章 孔子―狂狷の人の行方
第3章 詩経―興の精神

白川静
1910 - 2006
梅原猛
1925 - 2019

ドニ・ユイスマン『美学』(原書 1954, 白水社文庫クセジュ 久保伊平次訳 1959)

20世紀中盤のフランスの美学書。ヘーゲルの『美学講義』のあとで読むのには、ちょうどいい作品。「美学の歩み」を中心に美をめぐる言説についてまんべんなく概説してくれている。カントーヘーゲルからアドルノにいたるまでの美学の大筋の流れを確認することができる。

ドニ・ユイスマン
1929 - 2021
久保伊平次
1906 - 1991

 

斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書 2020)

脱成長、脱資本主義。共有財(コモン)の復権と、コミュニズムの拡張。
持続的に人類が生存可能な世界を形づくる方向性としては、脱成長の世界しかないというのはおそらく正しい。
ただ、正しいことをストレスなく争いなく実現できるかどうかは甚だ疑問。
3.5%の人が本気で改革に乗り出せば世界は変わるというところに著者は期待しているが、本気ではない人の5%の消費抑制行動や不買運動や選択的購入行動など、無理なく参加できるところから変革につながる活動の意義も取りあげてもいいかもしれないと思っている。あからさまに闘わないフィールドでの闘争(逃走)の選択肢もあってほしい。

shinsho.shueisha.co.jp


斉藤幸平
1987 -

 

鈴木大拙『華厳の研究』(原書 1955, 杉平顗智訳 角川ソフィア文庫 2020 )

鈴木大拙による大乗仏教の中国的展開である華厳経と禅の世界に関する講和。言語による華麗な華厳経の世界と、言語の機能を疑問視する禅の言語ゲームの世界を、一度に説いて伝えようとした書物。禅の師弟問答は、禅の言語ゲームに参入しないと分かりづらい、あるいはわかりようがないということが分かる一冊。禅問答が禅を行く人たち固有のコードをめぐる言語ゲームであるなら、苦労して理解するとこもないだろうと思わせてくれた一冊。禅的悟りなどとは別の言語ゲームの展開で、菩薩道を行く道もあるだろう。

www.kadokawa.co.jp

目次:
第一篇 禅から華厳経
第二篇 華厳経、菩薩理想及び仏陀
第三篇 菩薩の住処
第四篇 華厳経における発菩提心

鈴木大拙
1870 - 1966
杉平顗智
1899 - 1984
安藤礼二
1967 -

藤原定家『拾遺愚草』を読む 冷えた光と風のある世界

藤原定家の私歌集『拾遺愚草』正篇2791首をちくま文庫の『藤原定家全歌集 上』(2017)ではじめて通読。本文庫が出る前は図書館でもなかなか出会うことが難しかった歌集であったので、ありがたい。久保田淳による注釈、現代語訳ははりとあっさりしているものの、初学者にとっては逆に気負わずに参照しやすく便利。定家の冷えた感覚をしずかに鑑賞することができて、読後の印象はよかった。

 

1   いづる日のおなじ光に四方の海の浪にもけふや春はたつらむ

144  大かたの秋のけしきは暮はててたゞ山のはのありあけの月

1800 あまつ風みがく雲ゐにてる月の光をうつすやどの池水

2346 ふきみだる雪のくもまをゆく月のあまぎる風に光そへつゝ

 

もののない吹き抜けの精神世界。

 

【付箋歌番号】
1, 11, 43, 135, 144, 171, 173, 233, 343, 450, 468, 573, 588, 697, 736, 765, 831, 864, 971, 1049, 1052, 1053, 1099, 1333,1365, 1580, 1583, 1588, 1620, 1625, 1638,1678, 1682, 1703, 1800, 1817, 1881, 1883, 1979, 1984, 2021, 2140, 2167, 2175, 2197, 2279, 2340, 2346, 2385, 2490, 2493, 2635, 2721, 2733, 2761

www.chikumashobo.co.jp


藤原定家
1162 - 1241
久保田淳
1933 -

 

ヘーゲル『美学講義』(長谷川宏訳 作品社 全三冊 1996) 複製技術時代以前のゆったりたっぷりの芸術論

ヘーゲルは1770年の生まれ。美学の講義がなされたのは主に1820年代。同年生まれのヘルダーリンやベートーベンへの言及がないことが、読み手としてとても残念に感じられるくらいに充実していて安定感のある魅力的な講義録。
序論部分に他の哲学部門と美学との関係が書かれており、そこを呑み込むに際して正しく理解できているかどうかの不安は残るのだが、始源としての絶対精神から否定力によって個物が出現し、個物のうちに有限な精神が分有され、その分有された精神が自由かつ無限で絶対な絶対精神の理念に帰還到達するという運動に理想美が実現されるというのが芸術の姿であると一応の理解をもたせてもらった。それからは象徴芸術―古典芸術ーロマン的芸術と外面(客観)と内面(主観)の重視の比率によって歴史的に分割展開される芸術の歩みをたどり、さらにそのあとで、建築―彫刻―絵画―音楽―詩(文学)という素材の抽象化の深化とともに精神表現の深化も可能となるというジャンル論を歴史的展開と重ね合わせながら個別に見ていくことができる。非常に見通しの良い切り口で、長谷川宏の理解しやすい訳文とも相俟って、なんだが芸術の理解が一段上がったような気分にさせてくれる。
芸術の到達点として提示されている「ロマン的芸術」と詩(文学)のうちの喜劇が、外面(客観)と内面(主観)の統一の解体に向かうという指摘も、個人的な趣味とも合って感動した。解体のしかたは個々の芸術作品で一様ではなく、さまざまな姿をみせてくれるだろう。そう考えると、芸術もまた無限の行為であると腹をくくることに力を貸してくれる。
芸術の世界は、思い立てば、可能なかぎり参加することもできるし、参加させてもらうこともできる。今はネットでの美術館展開や電子テキストのなどもあり参加するためのハードルもずいぶん低くなっているし、写真や映画やビデオさらにはデジタルアートなど、技術の進展によって可能になった新しいジャンルも出現しているので、質量両面での新たな楽しみもヘーゲル時代よりも200年分の蓄積がある。
逆にヘーゲルの『美学講義』がすごいのは、写真や録音再生機(初代蓄音機)発明以前の時代にあって、建築から音楽までのジャンルの多くの作品は実物を見て論考しているということだ。講義聴衆者も理解のためには大部分の作家や作品を知っていなければならないはずで、それにもかかわらず、多年にわたりこの美術講義が開講されていたというのは、驚嘆に値する。ヨーロッパの懐の深さというものをおもいながら、私はこの『美学講義』を読んだ。

絶対精神に対立する自然は、精神と同じ価値を持つものでもなければ、精神の限界をなすものでもなく、精神の傘下にあり、精神によって産出されるものであって、精神に境界や限界を設定する力はもたない。つまり、絶対精神は絶対の活動力をもち、自分の内部でみずから絶対の区分を作りだすものととらえられねばなりません。ところで、精神がみずから区別して、自分とは別のものとしてそこに置いたのが、まさしく自然であって、この他なる自然をおのれの存在と同様のまったく充実した世界とするのが精神の徳というものです。したがって、自然は絶対理念を備えたものととらえねばなりませんが、この理念が、精神とは別物であるという形で存在することを見のがしてはならない。精神の別物であるかぎりで、自然は被造物と名づけられる。自然の摂理は、自然をうみだす理念の力と自己否定の力とをもつ精神にあって、精神は自分を分割し否定しつつ、自分の作りだしたこの分割と否定をさらに破壊し、そこに限界や制限を感じるのではなく、自由な一般理念の力によってこの他なるものと合一します。
(第一部 芸術美の理念――理想美「日常の現実・宗教・哲学と芸術との関係」上巻 p99 太字は実際は傍点)

上記引用は、哲学他部門に関連してくる記述のひとつの例。ヘーゲルが考える哲学体系の中での芸術の意味をよりよく知るために、『美学講義』以外の作品も読みすすめて必要がありそうだ。『エンチュクロペディー』のなかの「小論理学」か『大論理学』(『論理の学』)あたりが最適の候補になるだろう。

 

【付箋箇所】
《上巻》
まえがきのⅱ, 13, 31, 74, 76, 99, 154, 158, 166, 212, 235, 252, 279, 281, 347, 383, 394, 397, 405, 457, 459,
《中巻》
6, 9, 13, 18, 21, 22, 26, 54, 057, 68, 102, 116, 128, 150, 179, 186, 204, 231, 245, 315
《下巻》
125, 188, 198, 287, 294, 325, 441, 451, 473, 474

 

目次:(作品社サイトでの紹介は上巻のみ 中巻以降追記)

《上巻》
 訳者まえがき
 序論
Ⅰ 美学の境界
Ⅱ 美と芸術の学問的な扱いかた
Ⅲ 芸術美の概念
一 常識的な芸術感
  a 芸術作品は人間の活動の産物である
  b 芸術作品は感覚的なものを素材とし、人間の感覚にむけて作られる
  c 芸術の目的
二 芸術の正しい概念を歴史的に推論する
  a カント哲学
  b シラー、ヴィンケルマン、シェリング
  c イロニー(皮肉)
Ⅳ 章立て
 第一部 芸術美の理念
第一章 美しいものとはなにか
一 理念
二 理念の存在
三 美の理念
第二章 自然美
A 自然美そのもの
  一 生命という理念
  二 自然の生命力の美しさ
  三 自然の生命力のとらえかた
B 抽象的形式のもつ外面的な美しさと感覚的素材の抽象的統一
  一 抽象的形式の美しさ
a 規則正しさ
b 法則性
c 調和
  二 感覚的素材を抽象的に統一するところになりたつ美しさ
C 自然美の欠陥
  一 直接の有機体の内部にとどまるもの
  二 直接に個として存在する自然物の依存性
  三 直接に個として存在する自然物の限界性
第三章 芸術美ないし理想形
A 理想形そのもの
  一 美しい個体
  二 理想美と自然との関係
B 理想形の特質
  Ⅰ 理想形そのものの特質
 一 世界全体を統一する神
 二 神域
 三 静止した理想形
  Ⅱ 行動
 一 一般的な時代状況
a 個人の自立
b 現在の散文的状況
c 自立した個人の再建
 二 局面
a 局面なき局面
b 調和を欠いた特定の局面
c 対立
 三 行動
a 行動の大儀
b 行動する個人
c 性格
  Ⅲ 理想形のかかわる外界そのもの
 一 抽象的な外形そのもの
 二 具体的な理想形とその外的現実との合致
 三 鑑賞者の視点から見た理想的芸術作品の外界
C 芸術家
  一 想像力、天分、霊感
 a 想像力
 b 才能と天分
 c 霊感
  二 表現の客観性
  三 手法、様式、独創性
 a 主観的な手法
 b 様式
 c 独創性
 第二部 理想美の特殊な形態への発展
第一篇 象徴的芸術形式
 Ⅰ 象徴とはなにか 
 Ⅱ 章立て
一 無意識の象徴表現
二 高遠な象徴表現
三 意識的な象徴表現
第一章 無意識の象徴表現
 A 意味と形態の直接の統一
一 ゾロアスター教
二 ゾロアスター教のイメージの非象徴性
三 ゾロアスター教の発想と表現の非芸術性
 B 空想的な象徴表現
一 ブラフマンのとらえかた
二 インド人の想像力の即物性、誇張表現、擬人化表現
三 清めと悔い改め
 C 本来の象徴表現
一 エジプト人の死生観と死の表現
二 動物崇拝と動物の仮面
三 完璧な象徴表現
第二章 高遠な象徴表現
 A 芸術上の汎神論
一 インドの詩
二 イスラム教の詩
三 キリスト教神秘主義
 B 高遠な芸術
一 世界の創造主としての神
二 神なき有限な世界
三 個々の人間
第三章 比喩を用いた芸術形式の意識的な象徴表現
 A 外形を出発点とする比喩表現
一 寓話
二 たとえ話、格言、教訓話
  a たとえ話
  b 格言
  c 教訓話
三 変身物語
 B 意味のともなう形象を出発点とする象徴表現
一 なぞなぞ
二 アレゴリー(寓喩)
三 隠喩、イメージ、直喩
  a 隠喩
  b イメージ
  c 直喩
 C 象徴的芸術形式の消滅
一 教訓詩
二 描写詩
三 古代の題詞(エピグラム)

《中巻》
 第二部 理想美の特殊な形態への発展(続き)
第二篇 古典的芸術形式
 Ⅰ 古典的芸術一般について 
一 精神と自然状態とが浸透しあう古典芸術の自立性
二 古典的理想美を体現するギリシャ芸術
三 古典的芸術形式における制作者(芸術家)の位置
 Ⅱ 章立て
第一章 古典的芸術形式の形成過程
一 動物の格下げ
  a 動物の犠牲
  b 狩り
  c 変身物語
二 古い神々と新しい神々とのたたかい
  a 神託
  b 新しい神々とは区別される古い神々
  c 古い神々の征服
三 否定された積極的保存
  a 秘儀
  b 芸術表現のうちの保存された古い神々
  c 新しい神々の土台となる自然
第二章 古典的芸術形式の理想形
一 古典芸術の理想形
  a 自由な芸術的創造からうまれる理想形
  b 古典的な理想形をとる新しい神々
  c 外面的な表現形式
二 種々の神々の集まり
  a たくさんの神々
  b 体系的組織化の欠如
  c 神々の集団の基本性格
三 個々の神々の個性
  a 個性表現のための素材
  b 土台となる共同体の保存
  c 快適さと刺激の追求
第三章 古典的芸術形式の解体
一 運命
二 擬人化による神々の解体
  a 内面的主体性の欠如
  b 近代芸術のとりあげるキリスト教への移行
  c 古典芸術の芸術としての解体
三 風刺詩
  a 古典芸術の解体と抽象芸術解体のちがい
  b 風刺詩
  c 風刺詩の土台をなすローマ世界
第三篇 ロマン的芸術形式
 Ⅰ ロマン芸術一般について 
一 内面的主体性の原理
二 ロマン芸術の内容と形式をなす具体的な要素
三 ロマン芸術の表現法
 Ⅱ 章立て
第一章 ロマン芸術の宗教圏
一 キリストの救済史
  a 芸術は不必要だとする見かた
  b 芸術の必要性
  c 外形にあらわれる偶然の要素
二 宗教的な愛
  a 愛の絶対性
  b 心情
  c ロマン的理想美としての愛
三 教団の精神
  a 殉教
  b 内面の改悛と改宗
  c 奇跡と聖人伝
第二章 騎士道
一 名誉
  a 名誉の概念
  b 名誉棄損
  c 名誉回復
二 愛
  a 愛の概念
  b 愛の葛藤
  c 愛の偶然性
三 忠誠
  a 召使の忠誠心
  b 独立した主体の忠誠心
  c 忠誠心の葛藤
第三章 形式的に自立した特殊な個人
一 個の人格の独立
  a 人物の形式的に堅固な性格
  b 内面でつぼみのように身を固める人物たち
  c 形式的な性格を造形する際に見られる共同体への関心
二 冒険物語
  a 偶然の目的や葛藤
  b 喜劇仕立ての偶然
  c 小説
三 ロマン芸術の解体
  a 現実の主体的な摸倣
  b 主観的ユーモア
  c ロマン的芸術形式のおわり

 第三部 個々の芸術ジャンルの体系
 Ⅰ ジャンル内部の発展 
 Ⅱ 章立て
第一篇 建築
第一章 独立自存の象徴的建築
一 民族の統一をねらいとする建築作品
二 建築と彫刻のあいだをゆれうごく建築作品
  a 男根像など
  b オベリスク(方尖塔)など
  c エジプトの神殿建築
三 独立自存の建築から古典的建築への移行
  a インドとエジプトの地下建造物
  b 死者の住居やピラミッド
  c 手段としての建築への移行
第二章 古典的建築
一 古典建築の一般的性格
  a 一定の目的に仕える建築
  b 目的にかなった建物
  c 基本形としての家
二 建築上の特殊な形式の基本的性質
  a 木造と石造のちがい
  b 神殿の各部分の形式
  c 古典的神殿の全体像
三 古典建築のさまざまな建築様式
  a ドーリス式円柱様式、イオニア式円柱様式、コリント式円柱様式
  b ローマのアーチ建築
  c ローマ建築の一般的性格
第三章 ロマン的建築
一 一般的性格
二 建築上の特殊な造形法
  a 基本形式――全面の閉じられた家
  b 内外の形
  c 装飾法
三 ロマン的建築のさまざまな工法
  a ゴシック以前の建築
  b 本来のゴシック建築
  c 中世の世俗建築
第二篇 彫刻
第一章 本格的彫刻の原理
一 彫刻の本質的な内容
二 美しい彫刻の形
  a 個別的現象の排除
  b 顔の表現の排除
  c 共同体に生きる個人
三 古典的理想形を体現した芸術の彫刻
第二章 彫刻の理想形
一 理想的な彫像の一般的性格
二 理想形彫刻の特殊な面
  a ギリシャのプロフィール(横顔)
  b 体の姿勢と動き
  c 衣服
三 理想形彫刻の個性
  a 付属品、武器、装飾品など
  b 年齢と性のちがいと、神々、英雄、人間、動物のちがい
  c 個々の神々の表現
第三章 さまざまな表現法と素材――彫刻の歴史的発展段階
一 種々の表現法
  a 単独の像
  b 群像
  c 浮彫り
二 彫刻の材料
  a 木材
  b 象牙、金、青銅、大理石
  c 宝石とガラス
三 歴史的な発展段階
  a エジプトの彫刻
  b ギリシャとローマの彫刻
  c キリスト教の彫刻


《下巻》
 第三部 個々の技術ジャンルの体系(続き)
第三篇 ロマン的な芸術ジャンル
第一章 絵画
一 絵画の一般的性格
  a おもな内容
  b 絵画の感覚的材料
  c 芸術的技法の原理
二 絵画の特殊な規則
  a ロマン芸術の内容
  b 感覚的材料の特質
  c 芸術的な構想、構成、性格描写
三 絵画の歴史的発展
  a ビザンティン絵画
  b イタリア絵画
  c オランダ絵画とドイツ絵画
第二章 音楽
一 音楽の一般的性格
  a 造形芸術および詩(文学)との比較
  b 内容の音楽的なとらえかた
  c 音楽の効果
二 音楽の表現手段の特質
  a テンポ、拍子、リズム
  b ハーモニー(和声)
  c メロディー
三 音楽的な表現手段と内容との関係
  a 付随音楽
  b 独立の音楽
  c 芸術的演奏
第三章 詩(文学)
A 詩的芸術作品と散文的芸術作品のちがい
一 詩的発想と散文的発想
  a 両者の発想の内容
  b 詩的イメージと散文イメージのちがい
  c 詩(文学)的なものの見かたの極分化
二 詩的芸術作品と散文的芸術作品
  a 詩(文学)的芸術作品一般
  b 歴史記述や弁論術との違い
  c 自由な詩(文学)的芸術作品
三 詩人の主体性
B 詩的表現
一 詩的観念
  a もともと詩的な観念(イメージ)
  b 散文的な観念(イメージ)
  c 散文からとってこられた詩的観念(イメージ)
二 言語表現
  a 詩的言語一般
  b 詩的言語の手段
  c 手段の利用法のちがい
三 詩の韻律
  a 音韻のリズム
  b 押韻
  c リズムと押韻の統一
C 詩の種類
Ⅰ 叙事詩
一 叙事詩の一般的性格
  a エピグラム(題詞)、箴言、教訓詩
  b 哲学的教訓詩、宇宙論、神統記
  c 本来の叙事詩
二 本来の叙事詩のさまざまな性質
  a 叙事詩をうみだす一般的な時代状況
  b 個人の叙事詩的行動
  c 叙事詩の全体としてのまとまり
三 叙事詩の発展史
  a 東洋の叙事詩
  b ギリシャとローマの古典的叙事詩
  c ロマン的叙事詩
Ⅱ 抒情詩
一 抒情詩の一般的性格
  a 抒情的芸術作品の内容
  b 抒情的芸術作品の形式
  c 作品のうみだされる文化の水準
二 抒情詩の特殊面
  a 抒情詩人
  b 抒情的芸術作品
  c 本来の抒情詩の種類
三 抒情詩の歴史的発展
  a 東洋の抒情詩
  b ギリシャとローマの抒情詩
  c ロマン的抒情詩
Ⅲ 劇詩
一 詩的芸術作品としての劇
  a 劇詩の原理
  b 劇作品
  c 劇作品と観客との関係
二 劇作品の舞台での上演
  a 劇作品の黙読と朗読
  b 俳優術
  c 詩から相対的に独立した芸術劇場
三 劇詩の種類とその歴史的要点
  a 悲劇、喜劇、中間劇の原理
  b 古代の劇詩と近代の劇詩
  c 劇詩とその主要作品の具体的発展
  
人名索引
訳者あとがき

ヘーゲル
1770 - 1831
長谷川宏
1940 -