読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】10. 衝突の瞬間 永遠回帰で回帰するものは決断が切り開くという瞬間


瞬間の出来事を一般に向け表明し説明することは難しい。瞬間という観測対象になりがたい瞬間を評価対象に掲げることの難しさが顔をのぞかせている。

《幻影と謎について》
ツァラトゥストゥラの動物たち
《恢復しつつある者》

瞬間に立つ人は二重の方向を向いている。彼にとって、過去と将来は対抗的に動くのである。彼はこの対流的なものを自分の内で衝突させるが、しかし静止させはしない。なぜなら、彼は自分に課せられているものと自分に授けられているものとの相剋を展開し、かつそれに堪えぬくからである。瞬間を見るとは、瞬間の中に立つということである。(中略)回帰において何が回帰するのかは、この瞬間によって――そして瞬間の中で拮抗し合うものを掌握する力によって――決せられる。永遠回帰の教えにおけるもっとも重い本来的なものは、まさに永遠は瞬間にありということであり、瞬間ははかない今とか、傍観者の目前を疾駆する刹那とかではなく、将来と過去との衝突であるということである。(p372)

評価の難しい、瞬間を生きる決断。過去と将来を共に引受ける瞬間の切り口を見極め見届ける生の時間。どう転ぶにせよ、あぶない時間であるということは意識しつづけなければいけないと思う。同じものが回帰しているだけにせよ、力点のかけ方の違いで、物事は別様にあらわれる。切り口にあらわれる像の差異、ゆらぎ。


マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900

細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -