読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

和歌

相馬御風『大愚良寛』(1918, 考古堂 渡辺秀英校注 1974)良寛愛あふれる評伝

良寛のはじめての全集が出たのが1918年(大正7年)であるから、まだまとまった資料がない時期に、良寛の史跡を訪ね、ゆかりの地に伝わる逸話を地元の人々から直接聞き取り、良寛の遺墨に出会いながら、人々に愛された良寛の生涯をつづる。明治期から昭和期に…

唐木順三『良寛』(筑摩書房 1971, ちくま文庫 1985)天真爛漫と屈折の同居。漢詩の読み解きを中心に描かれる良寛像

良寛は道元にはじまる曹洞宗の禅僧で、師の十世大忍国仙和尚から印可を受けているので、悟りを開いていることになっているはずなのだが、実際のところ、放浪隠遁の日々を送っているその姿は、パトロンから見ても本人的にも失敗した僧と位置付けるのが正しい…

井上宏生『<ビジュアル選書> 一遍 遊行に生きた漂泊の僧 熊野・鎌倉・京都』(新人物往来社 2010)決定往生の安心を説き与えつづけた遊行の僧

唐木順三が著書『無常』において高く評価していた一遍が気になり、入門書を手に取る。いずれも「捨てる」ことを説いた鎌倉新仏教の開祖のうち、寺を持たず、捨てようとする心も捨てるにいたったという一遍が、捨てるということにおいてはもっとも徹底してい…

唐木順三『無常』(筑摩叢書 1965 ちくま学芸文庫 1998)日本的詩の世界の探究

赤子の世界、無垢なる世界は、美しいが恐ろしい。穢れ曇ったものが触れると、穢れや曇りが際立ってしまう。そして、在家の世界で赤子のままでずっといられる万人向けの方法など探してみても、どうにもなさそうなので、せめて先人の行為の跡に触れようと、と…

本居宣長『石上私淑言』(1763 34歳)「もののあわれ」に「詞の文」をまとわせる

いそのかみのさざめごと。27歳の時の『排蘆小船(あしわけをぶね)』を展開させたもの。内容はほとんど変わらないが引用歌がふんだんで門人たちには学びやすいものになっていただろう。同年五月、尊敬する賀茂真淵と会見し、十二月に入門。古事記伝に舵を切…

本山幸彦『人と思想 47 本居宣長』(清水書院 1978, 2014) 歌論から古道、儒教批判へ

1757年、宣長28歳、京都での遊学を終え松坂に帰ってのちに賀茂真淵『冠辞考』を読んだことが、王朝文学から古事記へと向かい、儒教批判論者としての骨格を固めていった決定的な出来事であった。出会うべくして出会った作品であり師である。真淵の死も…

本居宣長『紫文要領』(1763 34歳)「もののあわれ」で語る源氏物語論

もっぱら平安古典を読みひたり、人の情の本来的姿を観想する。生産性や効用や能率などで評価されないよわく愚かしいこころの動きを愛おしみ伸びやかにさせる。言葉によるこころの浄化と保全の運動、といったら「漢心」っぽくなってしまうだろうか。 すべて人…

本居宣長『排蘆小船』(1756頃 27歳)青年宣長二〇代の挑戦、心の弱さと非合理を肯定する「もののあわれ」論

あしわけをぶね。鬱陶しいまでにさかしらな批評の言葉が生い茂っている歌界の蘆原を私は「もののあわれ」という小船で渡っていきますという宣言の歌論。 歌の道は善悪のぎろんをすてゝ、ものゝあはれと云ふことをしるべし(p55) 人の情のありていは、すべて…

ピーター・J・マクミラン『英語で味わう万葉集』(2019 文春新書)

アイルランド生まれの日本文学研究者で詩人の著者マクミランが万葉集から百首選んで英訳、現代語訳、解説を書いている。解説のレベルが高いので、高校や大学教養課程の講義用テキストとしても有効なのではないかと思いながら読んだ。言葉に対する感覚の鋭さ…

中西進編『大伴家持 人と作品』(1985 桜楓社)

大伴家持没後1200年の記念出版本。研究者七名による紹介と、年譜、口訳付大伴家持全歌集からなる。本書を通して読んでみると、大伴家持はどちらかというと長歌の人なのではないかと思わされた。それから官僚としてしっかりと務めを果たした人でもあったのだ…

山本健吉『大伴家持』(1971)

安心の山本健吉。幅広い知識をベースに一流の鑑賞を披露してくれている。 【歌語に対する考察】 万葉の挽歌では、「死ぬ」という言葉を絶対に使わない。信仰的には、死は死ではなく、甦りだという考え方があった。「天知らす」「雲隠る」「過ぐ」「罷る」「…

会津八一『自註鹿鳴集』

教養と詩才は単純な相関関係にはない。美術史家、書家として著名であることが歌人としての評価を多分に高めているのではないかというような下衆の勘繰りをめぐらせても詮無いことだが、和歌短歌の業界人ではない読者にとっては、「会津八一の歌」と言われて…

萬葉集巻十四 3399 東歌

信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな履著け我が夫 しなぬぢは いまのはりみち かりばねに あしふましむな くつはけわがせ 切り拓いたばかりの危ない道だから、ちゃんと靴をはきなさいね。 ありがたい心づかいのある一首。 いろいろ荒れた世ではありますが、…

萬葉集巻二十 4467 大伴家持

剣大刀(つるぎたち) いよよ磨(と)ぐべし いにしへゆ さやけく負ひて 来(き)にしその名ぞ 力を失っていく名門大伴の一族を背負う立場に立つほかなかった家持。基本感情は憂いであった。

藤原一二『大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯』(2017)

淡白、というか、のっぺりしている。大伴家持の歌に分け入っていこうという意図はさほどなく、歌が生まれた背景、史実を拾い上げている。家持ゆかりの土地の郷土史家が読者としてはベストだろう。また、家持の歌になじんだ後に、背景を正しく知りたいような…

新潮日本古典集成『萬葉集 五』

巻十七~巻二十(歌番号 3890~4516)青木生子、井出至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎 校注 左大臣橘卿謔れて云はく、「歌を賦(ふ)するに堪(あ)えずは、麝(じゃ)をもちてこれを贖へ」歌はうたえるに越したことはない。 3926 大宮の 内(うち)も外(と…

新潮日本古典集成『萬葉集 四』

巻十三~巻十六(歌番号 3221~3889)青木生子、井出至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎 校注 3852ではじめて旋頭歌がすっと読めた感じがした。和歌のリズムと違うとなかなかすっと情感が入ってこないものだと思った。 3228 神なびの みもろの山に 斎(いは)ふ…

新潮日本古典集成『萬葉集 三』

巻十~巻十二(歌番号 1812~3220)青木生子、井出至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎 校注 水の上にかく数字はなんだろうかと考えてみる。漢数字の一が一番妥当なんだろうか。水がある惑星の古い歌の数々が美しい。 1861 能登川(のとがは)の 水底(みなそこ…

新潮日本古典集成『萬葉集 二』

巻五~巻九(歌番号 0793~1811)青木生子、井出至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎 校注 令和の由来「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」は、巻五、梅花の歌三十二首の序にある。後から調べ直して改めて気づく程度。この一冊では、日本は海に囲まれて海と生きて…

新潮日本古典集成『萬葉集 一』

巻一~巻四(歌番号 0001~0792)青木生子、井出至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎 校注 字が大きくて空白が多いつくりになっているので何となく読みやすい。全4516首、読み通せるかもしれないという気分にさせてくれるシリーズ。 0004 たまきはる 宇智(うち…

今井恵子編集『樋口一葉和歌集』(2005)

和歌を読む限りでは樋口一葉は情念の人。着火が早く、燃えはじめたら火力が強い。和歌に関してはどちらかというと燃えあがる前のどこかに静けさをたたえる歌の方が好み。 071 おもふことすこし洩らさん友もがなうかれてみたき朧月夜に112 涼しさもとなりの水…

小学館 『新編 日本古典文学全集61 連歌集・俳諧集』(2001)

はじめての連歌、俳諧。 感想:日本の詩歌のサイズは百韻が基本独吟よりも複数の連歌師、俳諧師の手になるものの方が変化があって読みごたえがある。意外とみやび。連歌後期・俳諧初期の俗に向かった作品よりも、連歌初期、俳諧後期のかどのとれた味わいの作…

中村真一郎 『ビジュアル版 日本の古典に親しむ 12 伊勢物語』(2007)

中村真一郎による現代語訳と解説で主だった伊勢物語の段を読める入門書。以下引用は「東下り」の段の解説。 こうした貴人が都を離れて地方へ流浪するという話は、民族学の方では「貴種流離譚」と名付けられていて、古代には類話が多いわけです。そしてその場…

数を気にする紀貫之

紀貫之の歌といえば「水底」がまず思い浮かぶが、数を気にする紀貫之というのも結構気になっている。 033 いかにして数を知らまし落ちたぎつ滝の水脈よりぬくる白玉056 数ふればおぼつかなきをわが宿の梅こそ春の数は知るらめ064 幾代へし磯部の松ぞむかしよ…

大岡信『紀貫之』(1971, 2018)

「土佐日記」が好きなので紀貫之を悪く思ったことはない。歌も悪いとは感じない。 影見れば波の底成るひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき 正岡子規によって戦略的に「下手な歌よみ」と宣言されてしまった紀貫之ではあるが、大岡信は本書によって紀貫之の…

白洲正子『十一面観音巡礼 愛蔵版』(1975, 2010)

白洲正子は現代の文化的野蛮人たる私にも日本の別世界をすこし見せてくれる貴重な案内者である。 両眼をよせ気味に、一点を凝視する表情には、多分に呪術的な暗さがあり、まったく動きのない姿は窟屈な感じさえする。平安初期の精神とは、正しくこういうもの…

山崎昇『人と思想149 良寛』(1997 清水書院)

清水書院の「人と思想」シリーズで詩人が対象となる場合、伝記に実作品がふんだんに取り入れられて、優れたアンソロジーを読んだ気分にさせてくれる。本書の場合も漢詩、俳句、和歌の区別なく取り入れられていて、さらには書の図版も多く、良寛の全体像が見…

斎藤茂吉の良寛 『斎藤茂吉選集 第十五巻 歌論』

良寛についての歌論二篇を読んだ。 「良寛和歌集私鈔」(大正三年=1914)「良寛和尚の歌」(昭和二十一年=1946) 良寛の歌は総じて平坦単純であるから、左程にも思わない鑑賞者が多いと思ふが、その境地といひ調子といひ、なかなか手に行つたものである。俗…

足をのばす良寛

自制を少しゆるめるとき、足をのばして過ごす良寛が姿をあらわす。【歌】きさらぎの末つ方雪のふりければ 風まぜに 雪は降り來ぬ雪まぜに 風は吹き來ぬ埋み火に 足さしのべてつれ/\と 草のいほりにとぢこもり うち數ふればきさらぎも 夢の如くに盡きにけら…

ジャック・ルーボーの極私的東京案内

ジャック・ルーボーの極私的東京案内訳:田中淳一2005, 2011 ジャック・ルーボーはフランスの詩人、数学者、作家。師匠はレーモン・クノー。実験文学集団「ウリポ」のメンバー。日本語は読めないが相当な日本文学マニア。本作に引用、参照される日本の歴史的…