読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

日本の近現代詩

萩原朔太郎と蟾蜍

萩原朔太郎の詩を読み返したら、ヒキガエルの存在感がすごかったのでメモ。詩人本人はあまり好いていない様子がうかがえるのだけれど、ヒキガエル、朔太郎にとっては一詩神、ミューズみたいな位置づけにいる生物であるような気がした。例: 1.『蝶を夢む』…

吉本隆明全集撰1『全詩撰』(大和書房 1986 )

吉本隆明(1924 - 2012)の1986年、62歳までの詩作品から自選した詩選集。全570ページに125編が収められている。代表作と言われる「固有時との対話」(1952)や「転位のための十篇」(1952)よりも初期の「エリアンの手記と詩」(1946/47)のストレートな…

【日本近代の代表的詩人 三人三冊】堀口大學『消えがての虹』(1978, 86歳)、西脇順三郎『人類』(1979, 85歳)、『村山槐多詩集』(彌生書房 1974, 1919 享年24) 同年代生まれの八〇台の詩人と二〇台詩人を同時に読む。

他言語に訳されて日本の20世紀詩人にこういった人がいましたよと読んでもらいたいところまではいかないけれども、日本人であるならばちょっとは気にしておいてもいい詩人三名の三冊。 堀口大學は1925年出版の訳詩集『月下の一群』が何より重要。この訳詩集…

【読了本三冊】加藤郁乎編『吉田一穂詩集』(岩波文庫)、廣松渉+加藤尚武編訳『ヘーゲル・セレクション』(平凡社ライブラリー)、ティル=ヘルガー・ボルヒェルト『ヒエロニムス・ボスの世界 大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ』(PIE International)

書くより読む優先の時間配分が続く生活のなかで、読後感想をまとめる時間に向きあうために超えなくてはならないハードルが高い。しかし、書かないと読んだことの定着が落ちる。消えてもったいないかもしれないと思うことはとりあえず記録しておく。 加藤郁乎…

【読了本六冊】新宮一成『ラカンの精神分析』、小林秀雄訳アラン『精神と情熱に関する八十一章』、スラヴォイ・ジジェク『パンデミック』、『[完全版]石牟礼道子全詩集』、冨田恭彦『詩としての哲学 ニーチェ・ハイデッガー・ローティ』、柏倉康夫訳ステファヌ・マラルメ『詩集』

引越しで図書館へのアクセス環境も変わり、自転車10分圏内に3館の公立図書館があるということでひとまず全館に足を向け、棚の並びを実際に見てみた。検索システムではわからない図書館ごとの特徴がいっぺんで分かるのがリアルの世界のいいところ。本の並…

萩原朔太郎編『昭和詩鈔』( 冨山房百科文庫 1940, 新装版 1977 )空虚さを清く保つ詩の力

昭和十五年に刊行された昭和詩のアンソロジー。伊東静雄、立原道造、中原中也、安西冬衛、北園克衛、中野重治、草野心平、三好達治、宮澤賢治、西脇順三郎、金子光晴、高橋新吉など、現在でも十分こころに響く芸術的美意識を込められた詩のことばを収集して…

茨木のり子+長谷川宏『思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』(近代出版 2006, 河出文庫 2016)哲学成分が少ないデュオだけど長谷川宏が楽しんでいる様子がうかがえるいい本

ヘーゲルの新しい翻訳者として高い評価を得ている長谷川宏。全共闘活動に参加した後、大学に所属せず塾を営み生計を立てることを選択した経験が、茨木のり子の詩にあわせて語られている。編集者の桑原芳子も注文していたように「もっと哲学的に思索してくだ…

長田弘『誰も気づかなかった』(みすず書房 2020)厳しい孤独と存在の確かさが文字記号に充填されているという人間界の出来事

全詩集未収録の六篇。 いつだってすっと入り込まれてしまっているが、こちらは気分的にそっとお茶を出すくらいのことしかできない長田弘の詩。没後5年でも、新しい本が届きました。昼間はお茶で、夜はお酒で、じっくり坐って、何度か読ませていただいている…

谷川俊太郎『ベージュ』(新潮社 2020)米寿の記念の詩集、生成の色の冷えた輝きにしずかに撃たれる

八十八歳になる日本語詩人がこころのうごきを書き留めた詩篇、31篇。生きることの哀感がこころの底を流れるなかで、凛として折れも萎れもしない姿勢がうかがわれる。楽園というにはほど遠い世界のなかで。「本音」を言い当てられているようなことばの数々…

思潮社現代詩文庫 1016『西脇順三郎詩集』(1979)

人間は永遠には生きられない。人間は死すべき存在である。永遠を生きられない悲哀とともにある諧謔が西脇順三郎の詩作のもとにある精神だ。ただ悲哀よりも諧謔のほうが強い傾向は見受けられ、言語表層の艶めきを駆け抜ける姿が浮かんでくる。東洋のヘルメス…

詩人としての安東次男 思潮社現代詩文庫『安東次男詩集』(1970)を読む

現代の日本には少なくとも三種類のpoetがいる。俳人、歌人、現代自由詩人。明治時代までであればこれに漢詩人も加わることになる。複数の専門領域に分けられる日本の詩。すみ分けて、多くの詩人が生息できることには良い面と悪い面があるだろう。その辺の事…

西脇順三郎の詩を読む

筑摩現代文学大系33(1978刊行)で西脇順三郎を読んだ。 カラッとしてネバつきのない日本語ぽくない日本語。特にAmbarvaliaが日本近代詩の中に存在していることは、今になってもありがたい。乾した穀物のような感触の詩。 手 精霊の動脈が切れ 神のフィルム…

小林恭二『これが名句だ!』(角川学芸出版 2014)

名句を紹介する書籍の中では、独特のラインナップ。目次を見た段階で、小林恭二にとっては攻めの書なんだなと感じた。 【配分一覧】 杉田久女 (1890 - 1946, M23 - S21), p 9- 27:19頁。16句。川端芽舎 (1897 - 1941, M30 - S16), p 29- 42:14頁。 8句。…

野口米次郎「墓銘」(『我が手を見よ』 1922 より )

墓銘 彼の詩は黒色であつた、人が彼に問うた、『なぜ先生は詩を赤や青でお書きにならない。』彼は答へた、『くだらない事を言ふ人だ、赤も青も黒になりたいと悶えてゐる色ぢやないか。』彼の詩は黒色であつた、これに相違はなかつたが、彼には各行が赤にも見…

鮎川信夫の詩(1946~1972の詩:鮎川信夫著作集第一巻 思潮社 1973)

最近T・S・エリオットの「ゲロンチョン」を注釈を見たり、ネットの記事を見たりしながらゆっくり繰り返し読んでいる中で、エリオットの訳といえば鮎川信夫のもあったよなあと思い、図書館で鮎川信夫著作集の該当巻を借りて読んだ。「荒地」と「プルーフロ…

野口米次郎「想像の魚」(『最後の舞踏』 1922 より )

想像の魚 私の胸に底の知れない谷が流れ、その上に弓なりの橋が懸る。橋の袂で私の魂の腐つたやうな蓆を敷き、しよんぼりと坐つて、通行人を見かけては、糸の切れた胡弓を鳴らしてゐる。『穢しい乞食だな』とある人は叫び、またある人は無言の一瞥さへ与へず…

野口米次郎「空虚」(『山上に立つ』 1923 より )

空虚 私の心が大きな空虚になる、水がなみなみと満ち、綺麗な魚が沢山居つて、今朝水中に落ちた星の玉を争ふ。すずしい風がそよそよ吹く、漣が波紋を作る、(ああ、私の心の空虚の池!)何処かにゐる私の霊はくすぐつたく感ずる。『動いてはいけない、水よ、…

野口米次郎「白紙一枚」(『沈黙の血汐』 1922 より )

白紙一枚私の言葉の詩は一種の弁疏(べんそ)たるに過ぎません、私のもつと大きな詩は人生の上に書かれました、否な、人生の上から消されました………今日一行、明日二行といふ工合に。私が人生の上に書いた大きな詩は今では殆ど白紙一枚であります。私の今日で…

松浦寿輝『波打ち際に生きる』(羽鳥書店 2013)

松浦寿輝の東京大学退官記念講演と最終講義をまとめた一冊。読後に襲ってきたのは不安感。到底この人の域には行きつけないのに、なに読んでいるんだろうという無力感みたいなものが湧いてきた。才能があるのに何故日本では輝いて幸福そうには見えないのかと…

野口米次郎「釣鐘」(『沈黙の血汐』 1922 より )

釣鐘 私は釣鐘、空虚の心、………冷く寂しく、桷(たるき)からぶらさがつて、撞木(しゆもく)で敲(たた)かれるのを待つて居る。私はこれ感応の心、生れて以来幾十年間、生命の桷からぶらさがつて、独り無言で、人の圧力を待つて居る。ああ、空虚な私の心、…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その6:全集6 『帰ってきた旅人』(1998)と未刊行詩篇

全集最終巻。詩を書きとおした人生に触れる。 だれもぼくの足跡を見たことはあるまいどんな砂浜でも波に洗われてどんな砂漠でも砂嵐におそわれてぼくの言葉を聞いても意味が理解できないのだから言葉は鳥語にすぎない小鳥はよってくるが鷲や鳶は空の高いとこ…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その5:全集5 『狐の手袋』(1995)~『1999』(1998)

全集5には2詩集が収録。『狐の手袋』(1995)『1999』(1998) 70歳を越えて、新たなチャンネルが開かれたような感覚の詩が出てきた。翁の文学、老年の詩ととらえればいいのだろうか? 希望も展望もない乾いた悲しみに、少しだけ好きなものと愛するものが混在…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その4:全集4 『新世界より』(1990)~『灰色のノート』(1993)

全集4には4詩集が収録。『新世界より』(1990)『ぼくの航海日誌』(1991)『ハミングバード』(1992)『灰色のノート』(1993) 老年を迎えても相変わらずよく書く田村隆一。1990年代出版の作品のことばには、ぶっきらぼうな厳しさが入り込んできたような印象を受…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その3:全集3 『5分前』(1982)~『生きる歓び』(1988)

全集3には6詩集が収録。『5分前』(1982)『陽気な世紀末』(1983)『奴隷の歓び』(1984)『ワインレッドの夏至』(1985)『毒杯』(1986)『生きる歓び』(1988) 1980年代は毎年のように詩集を出して、書きすぎじゃあありませんかといいたくなるような時期だ。何を…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その2:全集2 『誤解』(1956)~『スコットランドの水車小屋』(1976)

全集2には4詩集が収録。『誤解』(1978)『水半球』(1980)『小鳥が笑った』(1981)『スコットランドの水車小屋』(1982) 解説で、こちらも詩人の平出隆が「ぼくは詩が行分けであるためには、一行と一行の間のブランクが深い谷間になっていけないと思うんです」…

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その1:全集1 『四千の日と夜』(1956)~『死後』(1976)

戦後も戦後詩もだんだん霞んでいく。熱かったものも拡散して冷えて判別がつかないものになっていく。そんなことを感じながら戦後詩の代表的詩人の田村隆一をよんでいく。 全集1には6詩集が収録されている。 『四千の日と夜』(1956)『言葉のない世界』(1962…

吉増剛造『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書 2016)

詩人吉増剛造の自分語りを同じく詩人の林浩平が聞き手となって文字起こしした一冊。詩人の誕生から、出版時点での最新作『怪物君』までの全体像を見て取ることができる。「疾走詩篇」(『黄金詩篇』収録)などの勢いのある詩を書いていた40歳くらいまでの作…

野口米次郎「梅の老木」(『沈黙の血汐』 1922 より )

梅の老木 薄墨色の空を白く染め抜く梅の老木、私の霊もお前のやうに年老いて居る。お前の祈禱に導かれて(お前は単に人を喜ばせる花でない、)私も高い空に貧しい祈禱を捧げる、言葉のない喜悦の祈禱を。お前は形態の美を犠牲にして香気を得た、花としてお前…

野口米次郎「沈黙の血汐序詩」(『沈黙の血汐』 1922 より )

沈黙の血汐序詩 右には広々した灰色の沙漠、左には錐のやうに尖つた雪の峰、風はその間を無遠慮に吹きすさんで、木の葉を落とした樹木の指先から沈黙の赤い血が滴る……君はかういふ場所を想像したことがありますか。私は今この沙漠と雪の山との中間に居ります…

赤攝也『集合論入門』(培風館 1957, ちくま学芸文庫 2014)

数学が趣味ではない文系人間でも、集合論は興味深く接することができる領域だと思う。無限と自己言及に関する議論についての感度が高くなる気がするので、怖がらずに四、五時間付き合ってみるのも経験値の観点からも損はない。また、ぜんぶ分からなくても、…